アメリカ海兵隊の歴史<128>リビアTRAP

〜添付図版等の公開準備中〜

  • 実施期間: 2011年3月
  • 実施場所: リビア
  • 作戦の性格: TRAP(航空機及び搭乗員救出作戦)
  • 出動部隊: アメリカ海兵隊第26海兵遠征隊(26th MEU)、アメリカ海軍強襲揚陸艦キアサージ(LHD-3)

2011年2月15日、リビア東部のベンガジにおいて発生した反政府デモがいくつかの都市に拡大したためリビア政府は武力による鎮圧を開始した。しかし、反政府武装勢力と政府軍の武力衝突は激しさを増しカダフィ政権の高官からも離反者が出るようになり、リビアは内戦の様相を呈し始めた。2月27日には国連安保理でカダフィ政権に対する制裁決議を採択した。反政府勢力は国民評議会のもとに結集を模索し、3月5日には軍事委員会を設立し反政府軍の各武装勢力を正規軍と位置づけた。これに対して、カダフィ側政府軍の反撃が開始され国民評議会側は追い詰められた。

しかし、アラブ連盟がカダフィ政権の正当性を否定したり、フランスが主導するリビア爆撃が事実上国連安保理で容認されたりしたため、3月19日フランス・イギリス・アメリカを中核とする多国籍軍によるリビア政府軍に対する軍事攻撃が開始された。NATO軍ではUnified Protector 作戦、アメリカ軍では「オデッセイの夜明け作戦」と呼ばれ、アメリカ海軍とイギリス海軍の艦艇から発射された110発以上にのぼるトマホーク長距離巡航ミサイルによるカダフィ政権戦略要地に対する攻撃で幕が切って落とされた。

NATO軍がリビア内戦に介入し空爆を開始して3日めの3月21日2333時、イタリアのアビアノ空軍基地を飛び立ったアメリカ空軍F-15E戦闘機がリビアのベンガジ東部上空で墜落。(後に、墜落したF-15Eの墜落原因はエンジントラブルと断定された。)パイロットのハーネイ少佐と機上兵器管制オフィサー(WSO)のスターク大尉は脱出装置により機外に脱出し、パラシュートで無事に降下に成功した。ただし、この地区はリビア政府軍とNATOが支援する反政府軍の最も激しい軍事衝突地域であった。また、二人の搭乗員は遠く離れ離れに降着した。ハーネイ少佐は(SERE)の手順通りに素早く付近のリビヤ軍や反政府武装集団から身を隠すために4マイル移動した。しかしながら、スターク大尉の状況は確認できなかった。

3月22日0050時、リビア沖133海里洋上のアメリカ海軍強襲揚陸艦キアサージ(LHD-3)から海兵隊AV-8Bハリアー戦闘攻撃機2機が墜落現場上空へ向けて発進。ひき続いて0055時、アメリカ海兵隊が要請した航空機・搭乗員回収(TRAP)作戦が許可された。ただちに、キアサージに乗艦していた第26海兵遠征隊(26thMEU)はTRAP部隊の出動準備を開始した。

0120時、海兵隊AV-8Bハリアーがハーネイ少佐の上空に到達し、やはり急行してきたF-16戦闘機と連携して少佐との交信に成功し、少佐の待機位置が確認された。同時刻、シシリア島のシゴネラ基地から海兵隊KC-130J空中給油機が捜索現場方面に向けて飛び立った。

0133時、ハーネイ少佐が退避している方向に向かって沢山の人々が押し寄せてきたため、上空で少佐と連絡をとっていたAV-8Bハリアーは少佐と群集の中間地点に500ポンド・レーザー誘導爆弾2発を投下して群衆が接近するのを阻止しようとした。(後に判明したのであるが、群衆は反ガダフィ派であり、アメリカ軍にとっては味方であった。幸い、警告爆撃で群衆にはさしたる被害は生ぜず、群集たちはハーネイ少佐に食料や水を届けた。)

ちょうど同時刻、強襲揚陸艦キアサージからはそれぞれ15名の海兵隊員を搭乗させた2機の海兵隊MV-22Bオスプレイが発進しハーネイ少佐の待つ150~160海里離れたベンガジ郊外へと急行した。オスプレイにひき続いて、0151時、46名の海兵隊員で編成される即応部隊(QRF)を分乗させた2機の海兵隊CH-53E大型輸送ヘリコプターがキアサージからベンガジ東方上空に向けて発進した。

リビア海岸線に到達したオスプレイは敵のレーダー網から身を隠すために地上からおよそ60メートルの低空を時速480kmのスピードで飛行した。0219時、少佐の待機地点地域上空に到着したオスプレイからは、すぐには着陸地点を確認することはできず手間取ったが、0238時、上空で支援するF-16戦闘機のレーザー照射によって少佐が待つ地点から45mと離れていない場所に着陸することができた。着陸と同時にすぐさま海兵隊員がハーネイ少佐を回収し、海兵隊員たちがオスプレイに乗り込むやいなやオスプレイは離陸し、母艦キアサージへと急行し、0300時、無事キアサージ甲板へ着艦した。

オスプレイに続いて、救出部隊を乗せベンガジ上空へと向かっていた2機のCH-53は、パイロット救出の報を受け、リビアに着陸する以前にキアサージへと引き返した。

一方、スターク大尉は墜落地点付近の村の人々によって“味方”と認識されて救助された。やがて反ガダフィ政府派委員会メンバーが現場に到着し、アメリカ空軍大尉に敬意を払いガダフィ側の復讐からスターク大尉を保護するためにベンガジまで連れて行きアメリカ軍へ通報した。(正規の通信網がなかったため、大尉自身が米国の家族に電話をして、それが転送されて連絡がとれた。)その後、スターク大尉は無事にヨーロッパへと帰還した。

このTRAP作戦は、1995年6月にボスニアで実施されたオグラディ大尉救出作戦に引続いての、海兵隊にとっては2回めの実戦でのTRAPであった。そして、今回からは、それまで海兵隊の主力輸送ヘリコプターであったCH-46Eシー・ナイトに替わり、新鋭ティルトローター中型輸送機のMV-22BオスプレイがTRAP出動部隊の基本パッケージに加わっており、海兵隊の期待通り、より高速にそしてより安全にTRAP作戦を遂行する能力を実証した。

参考文献:

  • The Christian Science Monitor. 2011 March 22. How an MV-22 Osprey rescued a downed US pilot in Libya. 
  • CNN. 2011 March 23. Timeline: U.S. forces hurried to rescue of 2 stranded airmen.
  • 26th Marine Expeditionaly Unit. Release #77. Tactical Recovery of Aircraft and Personnel. 

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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