アメリカ海兵隊の歴史<127A>トモダチ作戦

〜添付図版等の公開準備中〜

  • 実施期間: 2011年3月12日〜4月7日(海兵隊の作戦行動)
  • 実施場所: 日本
  • 参加したアメリカ海兵隊部隊: 第3海兵遠征軍、第31海兵遠征隊

本項での記述は、アメリカ軍によるトモダチ作戦での活動のうち、主として海兵隊が関与した活動に絞って記述してある。米軍全体の活動に関しては拙著「写真で見るトモダチ作戦」(並木書房刊)を参照のこと。

311日金曜日:巨大地震と巨大津波発生

コタ・キナバル

各種公式行事とコミュニティーサービス実施のために強襲揚陸艦エセックスは、3月11日、マレーシアのコタ・キナバル近郊のセパンガー軍港(マレーシア海軍)に入港した。エセックスにおいて、駐マレーシア米国大使ならびにアメリカ海軍第7艦隊司令官そしてマレーシア海軍司令官等の交換を招いての式典が予定されていた。また、エセックス乗組員や第31海兵遠征隊員たちによる、地元の災害避難民や孤児たちの施設でのコミュニティーサービスも予定されており、海軍将兵や海兵隊員たちはしばらくコタ・キナバルに滞在することとなっていた。もちろん、公式行事やコミュニティー活動以外にも、乗組員や海兵隊員たちには風光明媚なコタ・キナバルでの上陸許可も待っていた。

シンガポール

同3月11日、第7艦隊旗艦ブルー・リッジは親善訪問先のシンガポールに入港した。今回の訪問では親善公式行事の他、コミュニティーサービスや文化交流行事なども予定されており、第7艦隊の海軍将兵とともに海兵隊艦隊対テロ保安部隊も乗り組んでいた。ブルーリッジのシンガポール滞在は7日間の予定で、入港すると海軍将兵や海兵隊員の多くには上陸許可が与えられ、シンガポールの町に上陸していった。

横田基地

3月11日14時46分(米国東海岸時間3月11日午前0時46分)に日本で巨大地震が発生すると、 太平洋津波警報センター(PTWC:ハワイ州オアフ島エヴァ)が津波警報を40の国々に対して発するとともに、首都ワシントンDCではUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁:海外に対する軍事支援以外の全ての非軍事支援を統括する、米国の連邦政府機関)が即応管理チームを立ち上げた。在東京米国大使館のルース大使による大災害の宣言にともないUSAIDは災害救援対応チーム(USAID/DART)を直ちに日本に向けて展開させ日本政府に協力する体制をとった。

USAIDはバージニア州フェアファックスとカリフォルニア州ロサンジェルスの都市部捜索救助(USAR)チームを日本に向けて進発させる指示を出し、両チームは即座に出動準備を開始した。

米国政府が日本救援態勢をとると同時に駐日米国大使館と連携して在日米軍司令部も捜索救援支援のための準備を開始した。在日米軍司令部はアメリカ空軍横田基地に所在し、在日米軍司令官は代々空軍中将が務めている。まず、在日米軍が実施した災害支援は、地震の影響で成田に着陸できなくなった旅客機に横田基地の滑走路を提供したことである。このため、成田に着陸できなくなった旅客機が横田基地に緊急着陸することができた。それらの乗客たちは、基地内に設けられた仮避難所で保護された。

シンガポール

一方、シンガポールに到着した第7艦隊旗艦ブルーリッジにも在日米軍の総力を挙げての震災救援活動の一報がもたらされたため急遽日本に取って返すこととなった。すでに上陸許可によって、艦を離れていた乗組員や海兵隊員も少なくなかったが、ブルーリッジの艦橋にはPAPAフラッグ、「総員帰艦せよ!」、が掲げられた。

コタ・キナバル

同様に、マレーシアのセパンガー軍港に到着したばかりのエセックスの乗組員や海兵隊員たちに対しても総員呼集がかけられ、上陸先からエセックスに帰還するとともに、被災地沖へ向けての出発準備が開始された。

312日土曜日:日本に対する支援開始

沖縄:アメリカ海兵隊普天間基地

アメリカ海兵隊第Ⅲ海兵遠征軍は、普天間基地に所在する海兵隊航空兵力の総力を挙げて震災救援活動に投入するため、有事に備え備蓄してある災害救援に有効な資機材ならびに救援物資を横田基地に急送する作業を夜通し行い海兵隊KC-130J Super Tanker空中給油機の出発準備が整った。この空中給油機には、海兵隊員並びに8,600ポンドの支援物資が積載できる。海兵隊による震災被災救援活動の指揮を執ることになった第3海兵遠征旅団司令官チンバーレーク大佐はじめ海兵隊員たちが、救援物資が搭載されたKC-130Jに乗り込み横田基地に向けて出発した。

同時に、普天間基地に常駐する海兵隊第265輸送ヘリコプター部隊は、全ヘリコプターを厚木アメリカ海軍航空基地に移駐させて災害救援活動に全面的に参加することになった。第一陣として部隊の半数の輸送ヘリコプターCH-46E Sea Knightが1,000マイルに及ぶ移動の準備を緊急に整えて普天間基地を後にした。

沖縄:アメリカ空軍嘉手納基地

沖縄のアメリカ空軍嘉手納基地では第18工兵分遣隊(18CEG)が、救援支援活動の準備を完了させて三沢航空基地へと出発した。第18工兵分遣隊の第一の任務は、アメリカ軍のコミュニケーションラインを確保するために地震で被害を受けた三沢航空基地の通信能力を始めとするインフラを復旧させることである。在日米軍が大震災による被災地に対する救援支援活動を行う際にまず確保しておかなければならないのは、通信ラインをはじめとする兵站線であることは軍事活動の定石である。

第18工兵分遣隊はアメリカ空軍の中で最大の規模を誇る工兵部隊で、450名の将兵と1,000名のシビリアン専門職要員を擁している。仙台空港復旧作業で活躍することになる第18工兵分遣隊は、一言でいうならば、航空施設インフラ整備のプロフェッショナル集団である。空港施設の建設・維持能力はもちろん航空機運用並びに空港施設に関するあらゆる危機管理能力を保有しているだけでなく、空軍の部隊であるために、CBRNE(化学・生物・放射線物質・核・高威力爆発物)対処能力も保有している。その他にも、沖縄に存在する基地の部隊という特性から、環境保護の専門家たちも第18工兵分遣隊には所属している。

岩国:アメリカ海兵隊岩国基地

アメリカ海兵隊岩国基地には海兵隊航空部隊が常駐しており、沖縄から横田に向かう海兵隊ヘリコプターや輸送機なども含めて多数の海兵隊航空機が燃料補給のために岩国基地に立ち寄ってはアメリカ海軍厚木基地を目指して飛び去っていった。

313日日曜日:フル稼働する空輸支援

アメリカ海兵隊岩国航空基地

昨日に引き続き海兵隊岩国基地は沖縄から飛来する航空機や厚木基地に飛び立つ航空機の中継所となっていた。もちろん、岩国基地からも救援物資が搭載されて厚木基地に送り出されていた。

アメリカ空軍三沢航空基地

三沢基地自体の整備を速やかに実施し、災害救援活動に従事するために沖縄や横田基地から三沢に向かったアメリカ空軍や海兵隊の要員が三沢基地に到着するとともに、米国各地から救援部隊や資機材を満載して日本に向けて飛び立ったアメリカ空軍輸送機も続々と到着した。三沢基地部隊は、それらの輸送機が到着すると同時に積載資機材を輸送機から搬出するスタンバイを整え待ち受けていた、大量の資機材の到着と平行して、フェアバンクス郡捜索救援隊やロサンゼルス郡捜索救援隊を始めとする各国から送り込まれた救援チームも三沢基地に到着し始めた。嘉手納基地から駆けつけた第18工兵分遣隊は早速三沢基地のインフラ整備を開始し、災害救援活動のハブ航空施設としてのコミュニケーションラインの確保を急いだ。

山形空港

仙台空港はじめ宮城県・福島県・岩手県の航空施設が地震と津波により壊滅的被害を受けており、横田基地と三沢基地だけでは被災地へのヘリコプターによる捜索救援活動が大きく制約されてしまうと判断したアメリカ空軍は、横田基地と三沢基地の中間地点でかつ被災地域に近い航空施設を燃料補給基地として確保するために、自衛隊が航空基地として使用している民間用飛行場である山形空港を視察した。アメリカ軍には世界中の航空施設や港湾施設の詳細データが整っており、山形空港を燃料補給基地として使用しようという構想は、震災発生とともにすぐに浮上したアイデアである。したがって、救援支援活動の開始とともに、空軍・海兵隊合同視察チームが山形空港へ急行し実地見分をしたわけである。(在日米軍からの要請に基づき防衛省が山形県の許可を得て米軍に対して正式に山形空港の使用許可が出たのは2日後である。このように、戦闘部隊としてのアメリカ軍の行動と比較して、戦闘を前提としていない日本政府の行動は極めて遅いといえる。)

仙台空港上空

山形空港から空軍・海兵隊合同チームを載せた空軍HH-60救難ヘリコプターは、仙台空港上空へ向かい、仙台空港の被害状況を観察した。山形空港はヘリコプターの燃料補給基地としての使用価値は高いものの、被災地域の中心に位置する仙台空港を一刻も早く復旧させ、少なくとも大型軍用輸送機の発着が可能な状態を確保しないと、大量の救援物資や大型資機材の被災地域への搬入が制約されてしまう。そのため、アメリカ軍救援部隊とりわけ空軍は、最大のプライオリティーを仙台空港の復旧作業に置いたのである。もちろん空軍が主導するといっても、海兵隊をはじめとする在日米軍の総力を挙げて仙台空港復旧作業は実施されることになる。

沖縄:アメリカ海兵隊普天間基地

普天間基地を本拠地とする海兵隊第152空中給油輸送飛行隊(VMGR-152)は救援物資や救援に向かう隊員たちの搬送のため普天間基地と岩国基地と厚木基地の間のピストン往復任務を開始した。海兵隊KC-130J Super Hercules輸送機には大量の物資が搭載できるため、海兵隊戦闘工兵部隊が使用する救援活動に転用可能な工兵資機材や救援物資の積み込みが絶え間なく行われ、海兵隊岩国基地へとKC-130J Super Herculesは次々と飛び立っていった。

南シナ海洋上

この日、海兵隊救援部隊の中核となる第31海兵遠征隊は強襲揚陸艦エセックスと揚陸輸送艦ジャーマンタウンの艦上にあり、南シナ海を日本に向け急航中であった。艦上では、被災地での救援支援活動に投入するヘリコプターを始めとする各種装備の点検調整作業が念入りに行われていた。

宮城県沖

3月12日に災害救援活動に従事するため横須賀を出航した横須賀を本拠地とするアメリカ海軍第15駆逐艦隊所属の駆逐艦カーティス・ウィルバー(DDG54)、マッケイン(DDG56)、マック・キャンベル(DDG85)は宮城県沖で海上自衛隊艦艇とともに海洋の状況把握と捜索救難活動を開始した。元々は、横須賀を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンと行動をともにする第15駆逐艦隊であるが、今回の救援活動では韓国への訓練へ向かう途中、被災地沖に転進したロナルド・レーガン空母打撃群と共同作戦を行うことになった。駆逐艦からは頑丈な船体の高速ゴムボートが下ろされ、捜索救援活動を実施された。

一方、救援活動に参加するため被災地沖に急行した原子力空母ロナルド・レーガンCVN76からは、福島第一原発上空まで放射線観測のためのヘリコプターが派遣された。福島第一原発東北沖合100マイルに待機するCVN76に帰還した観測用ヘリコプターの放射能汚染濃度を計測すると、海軍の規定で安全量とされている1ヶ月間に自然放射により受ける放射線量を上回っていたため、ヘリコプター乗員17名とヘリコプターには除染がなされ、艦隊は念のため放射線の影響の危険がない位置から救難活動を実施するために福島第一原発の風上方向側に移動した。

314日月曜日:海兵隊、前進司令部設置

沖縄:那覇軍港

アメリカ海兵隊第Ⅲ海兵遠征軍の第3戦闘兵站群は戦闘兵站部隊が使用する中型戦術トラックや大型トラクターを始めとする戦闘工兵車両や救援活動に有効な資機材を被災地に送り込むするために、海兵隊員の緊急輸送に使用しているWestpac Express高速輸送船(HSV)にそれらの大型資機材を搬入し、海兵隊岩国基地まで急送することにした。岩国基地からは超大型輸送機により復旧がなされていれば仙台空港まで、復旧に時間がかかる場合は近接地まで送り届けることになる。(あらゆる可能な手段を臨機応変に投入するのが海兵隊戦闘哲学の根底にあるため、ともかく現時点でできる手段により行動を起こすのが海兵隊的緊急対応である。)

仙台:海兵隊前進司令部

普天間基地から出動したアメリカ海兵隊第Ⅲ海兵遠征軍第265ヘリコプター飛行隊所属のCH-46E Sea Knightは仙台エリアでの捜索救援活動を開始した。仙台空港が壊滅状態であり、空軍・海兵隊合同調査チームによって視察が行われた結果復旧作業を急ぐ方針が打ち出されたものの、依然として被災地域のヘリコプター発着は緊急設営されたヘリポート、すなわち敵からの攻撃こそないものの戦闘地域での発着手順に似た状況であった。第Ⅲ海兵遠征軍の主たる部隊である第31海兵遠征隊本隊が揚陸艦エセックス艦上にあり日本に急行中であるため、急遽第Ⅲ海兵遠征軍に所属する第3海兵遠征旅団司令官チンバーレーク大佐が第Ⅲ海兵遠征軍前進部隊司令部部隊の司令官(中将)代理をつとめ初動救援支援作戦の指揮を執ることになり、仙台に前進司令部を設置した。

強襲揚陸艦エセックス艦上:CBRNE訓練

第Ⅲ海兵遠征軍の主力戦闘部隊である、すなわち救援部隊本隊となる第31海兵遠征隊(31-MEU)は強襲揚陸艦エセックスと揚陸輸送艦ジャーマンタウンに分乗して日本を目指して北上を続けていた。地震と巨大津波による言語を絶する惨状に加えて原子力発電所事故の報告もなされたため、艦上では海兵隊員たちに対放射線活動の講義と訓練が施された。もちろん、ヘリコプターを始めとする各種装備の点検整備も念入りに行われた。

参考文献:本項は、拙著「写真で見るトモダチ作戦」並木書房刊より修正転載

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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