アメリカ海兵隊の歴史<125>ハイチ救援活動(Operation Unified Response)

〜添付図版等の公開準備中〜

  • 実施期間: 2010年1月
  • 実施場所: ハイチ、ポルトープランスを中心とした被災地全域
  • 作戦の性格: 水陸両用作戦(HA/DR 大規模災害救援)
  • 参加部隊: 第22海兵遠征隊、第24海兵遠征隊

2010年1月12日16時53分(ハイチ時間)、ハイチの首都ポルトープランス付近を震源としてマグニチュード7の地震が発生した。ハイチは内戦状態が続き政情も不安定で世界一貧しい国とも言われており建造物の建築基準も整っていなかった。そのため、大統領府をはじめとする政府機関のビルやホテル・病院など数多くの建物が崩壊し、多くの死者・負傷者を出した。

地震発生の翌日にはアメリカはじめ各国が救援・支援活動を表明し、アメリカ沿岸警備隊やアメリカ海軍の艦艇が早くも活動を開始した。14日には、アメリカ軍の大規模派遣が決定され、最終的には15,000名規模での救援活動を実施した。アメリカだけでなくカナダや日本を始めとする多くの国々が支援金を拠出することを表明した。多くの国々が地震発生後1週間以内に救援隊や軍隊を派遣し救援活動や復旧活動を開始した。(日本は2月5日に自衛隊PKO部隊の派遣を決定し、翌日第一次部隊200名がハイチに向かった。引き続き二次部隊350名も派遣され現地での医療活動や復旧作業に貢献した。)

地震発生の翌日1月13日(DAY-1)、アメリカ沿岸警備隊の2隻のカッター(フォーワードWMEC-911、モホークWMEC-913)がポルトープランス港に到着した。フォーワードから海洋情報支援チームを派遣して港湾の損害状況などの調査・評価を実施した。これらのカッターを護衛するためアメリカ海軍駆逐艦ヒギンズ(DDG-76)もポルトープランス港に急行した。さらに、沿岸警備隊はカッター2隻(バリアントWMEC-621、タホマWMEC-908)を含む数隻の艦艇を出動させた。

また同13日(DAY-1)、アメリカ空軍特殊作戦部隊のMC-130Hコンバット・タロンIIが2機、緊急救援物資と医療部隊ならびに特殊作戦部隊をポルトープランスの飛行場、トゥーサン・ルーヴェルチュール国際空港、に送り込んだ。空軍特殊作戦部隊は、破壊された滑走路の緊急復旧や航空機離着陸の仮誘導設備の設営などを実施する部隊であり、国際空港を特殊作戦部隊以外の航空機が使用可能にする作業に取り掛かった。

14日には、 トゥーサン・ルーヴェルチュール国際空港はすでに使用可能状態になってはいたものの、ハイチ当局は管制業務をアメリカ軍に委任したため緊急管制態勢の状態であった。そこに医療品や救援物資を積載した各国の輸送機や旅客機が多数飛来したため、管制作業や着陸後の誘導などが混乱を極めた。幸い、アメリカ空軍緊急対応部隊やカナダの航空管制チームが到着し、本格的な管制態勢が復活したため、以後航空機による救援隊の到着や救援物資の搬入などはスムーズに実施されるようになった。

15日、アメリカ海軍航空母艦カール・ビンソン(CVN-70)がポルトープランス湾に到着。艦載してきた19機のヘリコプターが空母・国際空港・被災地の間を行き来して医療品や救援物資の配布、それに病人や負傷者の搬送に従事した。国際空港への航空機による物資や人員の搬入が可能であるが、逆に大量の物資の整理や救援隊の活動拠点が極めて不自由であったため、空母や引き続き到着予定の病院船や輸送艦それに水陸両用戦用艦艇などをポルトープランス湾に配置して海上基地を設置し、そこを拠点として救援・復旧活動を展開する方針となった。

海上基地を拠点に陸上での救援復旧活動を実施する場合、最も活躍が期待されるのが海兵隊である。そして、準備が整い次第それぞれ2,000名強の海兵隊員からなる第22海兵遠征隊と第24海兵遠征隊を出動させることが決定した。そこで、本隊の到着前に現地調査をするため、22海兵遠征隊の司令部要員から編成された前進司令部部隊がポルトープランス郊外の国連施設に入り現地調査作業を開始した。

1月19日、第22海兵遠征隊を分乗させたバターン水陸両用即応グループの強襲揚陸艦バターン(LHD-5)、輸送揚陸艦カーター・ホール(LSD-50)、輸送揚陸艦フォート・マクヘンリー(LSD-43)がポルトープランス湾に到着、救急医療と重傷者の収容を開始した。同時に、上陸用の浜辺の整備と揚陸施設ならびに救援物資集積所や救援物資集配センターの設置を開始した。救援物資の供給・配送はNGOと海兵隊が協力して実施することになった。

水陸両用即応グループの4隻の軍艦内では海兵隊員や海軍兵士たちによって飲料水(真水)の作成が急ピッチで進められた。ちなみに、強襲揚陸艦バターン内では1日におよそ20万ガロン、輸送揚陸艦内ではそれぞれおよそ6万3千ガロンの真水を造り出すことができる。

また、バターン水陸両用即応グループが積載してきたのは2,031名の海兵隊員に加えて、LCAC揚陸艇3機、LCU汎用揚陸艇3隻、CH-53E大型輸送ヘリコプター8機、UH-1N汎用ヘリコプター4機、HMMWV汎用機動車81輛、MTVR24輌、LAV軽装甲車8輛、AAV水陸両用装甲車10輌である。

翌20日には、病床数1,000のアメリカ海軍病院船コンフォート(T-AH-20)がおよそ1,000名の海軍医療スタッフを乗せてポルトープランス湾に到着した。医療スタッフはとくに外科手術チームと整形外科手術機能に重きをおいたメンバーで構成されており、到着直後から医療活動を開始した。

1月22日、 2,318名の第24海兵遠征隊を乗せたナッソー水陸両用即応グループの強襲揚陸艦ナッソー(LHA-4)、輸送揚陸艦メサ・ヴェルデ(LPD-19)、輸送揚陸艦アッシュランド(LSD-48)がポルトープランス湾に到着した。ナッソー水陸両用即応グループと第24海兵遠征隊は中東方面へ出動する予定であったが急遽ハイチでの人道支援活動へと転進してきた。そして、LHA-4ナッソーには12機のMV-22Bオスプレイが艦載されており、海兵隊のオスプレイにとって初めての人道支援活動となった。

第22海兵遠征隊も第24海兵遠征隊もそれぞれMEU工兵小隊を保有している。それぞれの工兵小隊は浄水整水器2セット、海水浄水器2セット、各種ポンプ5機、貯水タンクシステム、シャワー室2セット、4個の貯水タンク付き屋外シャワー設備2セット、自家発電装置18セット、30K電力供給装置2セット、15k電力供給セット2セット、60,000BTU Refer 装置5セット、36,000BTU Refer 装置 5セットなどの簡易インフラ装置のほか、フォークリフト2輛、バケット掘削機1輛、大型ブルドーザー1輛、ボブキャット2輌、各種トレーラー5輛などを持参した。これらの資機材は被災地における当面の復旧活動に絶大な威力を発揮した。

数隻の揚陸艦を拠点として自由自在に活動できる海兵隊は、揚陸艦から揚陸艇やヘリコプターやオスプレイなどにより陸上にアクセスする機動力を十二分に生かして、数カ所の被災ポイントに対して適宜救援物資の搬入、食料の配布、飲料水の供給、医療活動の援助、避難施設の建設など多岐にわたる救援活動に携わった。

また、MV-22Bオスプレイは、航続距離と飛行速度が従来の海兵隊輸送ヘリコプターから飛躍的に増大したため、負傷者や重病人をハイチ各地の被災地からキューバの海兵隊グアンタナモ基地へと直接搬送することも出来たため、そのHA/DRでの初陣を成功裏に飾った。

参考文献:

  • David R. DiOrio. Operation Unified REsponse—Haiti Earthquake 2010. Joint Staff College.
  • Mission Update Brief: Operation Unified Response. 2010. U.S. Southan Command.
  • Rhoda Margesson & Maureen Taft-Morales. 2010. Haiti Earthquake: Crisis and Response. Congressional Research Service.

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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