アメリカ海兵隊の歴史<118>海兵隊が関与した2005年におけるイラクでの戦闘

〜添付図版等の公開準備中〜

イラク戦争を通して最大の市街戦となったファルージャの激戦が収束した後も、イラク各地でのアメリカ海兵隊部隊ならびにアメリカ陸軍をはじめとする多国籍軍部隊そしてイラク政府軍部隊によるパトロール活動は継続され、それらのパトロール部隊と反米・反政府武装勢力との間での大小様々な規模の軍事衝突も断続的に発生した。ファルージャの戦闘終決以降、2005年に発生した比較的大きな武力衝突のうち海兵隊の部隊が関与したものは以下のとおりである。

2005年4月2日: アブ・グライブの戦闘

第10海兵旅団第2大隊E中隊が守備していたバグダッド西方アブ・グライブにあった武装勢力収容施設を武装勢力が襲撃し激戦が展開された。同時に、アブ・グライブのアメリカ陸軍部隊が守備していた前進指揮所にも自爆車輌が突っ込んで武装集団が襲撃した。また、攻撃に合わせて付近の多国籍軍飛行場も砲撃されたため、守備隊は航空機による近接支援を受けることができなかった。海兵隊守備隊は頑強に抵抗して、5,000名近い収容者が武装勢力により奪還されることを阻止したが、弾薬が尽きて銃剣による白兵戦に移行する段階にまで追い詰められた時に、第8海兵旅団第3大隊やアメリカ陸軍部隊が到着するとともに、海兵隊や陸軍の砲撃支援や空軍による近接支援も開始されたため、武装勢力は撃退された。海兵隊の戦死2名戦傷40名、武装勢力の遺棄死体は70名であった。

2005年4月12日: バッドランズ作戦

イラク治安部隊(ISF)と第6海兵旅団第1大隊によりファルージャ近郊の都市サクラウィヤに基地を建設するとともにサクラウィヤの復興支援を開始する作戦。武装勢力との衝突後、双方ともに戦死者は出さずに武装勢力から武器弾薬を押収するのに成功した。海兵隊民間支援担当者がサクラウィヤ市民の要望をまとめ、水道ポンプや発電所の建設が開始された。

2005年5月8日〜19日: マタドール作戦

イラクとシリアとの国境の町アル・クァイムは外国人戦士や武器弾薬がシリアから流れ込むルートとなっており、武装勢力と外国人戦士にとっては“楽天地”であった。そこで海兵隊第3/2任務部隊と第3/25任務部隊により、シリア国境沿いの武装勢力によって支配されている地域を制圧するためのマタドール作戦が実施された。工兵部隊により仮設橋を掛けながらの渡河作戦を含む10日ほどの戦闘で、海兵隊側は戦死9名戦傷40名を出し、武装勢力・外国人戦士側は少なくとも125名の戦死者を数えた。この作戦によって武装勢力や外国人戦士をアル・クァイムから駆逐し作戦は成功したが、やがて海兵隊がアル・クァイム中心地から撤収すると再び国境を越えて武装勢力や外国人戦士が舞い戻ってきてしまった。

参考文献:

  • Lt.Col. Kenneth W. Estes. 2011. Into The Fray: U.S. Marines In Iraq, 2004-2005. Washington D.C.: History Division, USMC.
  • Lt.Col. Kenneth W. Estes. 2009. U.S. Marine Corps Operations In Iraq, 2003-2006. Quantico, Virginia: History Division Marine Corps University.

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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