2001年の9.11同時多発テロが引き金となって開始されたアフガニスタンを戦場にして多国籍軍とタリバンを中心とするテロリストとの戦いが同年10月から開始された。アメリカ海兵隊はタリバンの本拠地であったカンダハールへの多国籍軍の侵攻の先鋒部隊として投入された。この際、強襲揚陸艦からヘリコプターに乗って発進した海兵隊部隊は、およそ700kmもの長距離を飛行して作戦地点に降り立つという、ヘリコプター使用による水陸両用作戦史上最長距離を記録した。
- 実施期間: 2001年11月〜12月
- 実施場所: アフガニスタン、カンダハール
- 作戦の性格: 水陸両用作戦(襲撃)
- 参加部隊: アメリカ海兵隊第15海兵遠征隊、第26海兵遠征隊
- 敵対勢力: タリバン、アルカイダ
2001年9月11日にニューヨークとワシントンDCで発生した同時多発テロを受けてNATOが集団的自衛権に基づき多国籍軍を結成しオサマ・ビン・ラディンのアルカイダとタリバンを掃討するためのアフガニスタン戦争が10月7日に開始された。
アフガニスタン戦争のアメリカ軍先鋒となったのは海兵隊ではなく中央情報局(CIA)特殊作戦部(SAD)の戦闘部隊であった。このことは、アフガニスタン戦争が国家の正規軍ではないタリバンを始めとするテロリスト諸集団という特殊な性格を持つことを象徴している。CIA-SADがタリバンと敵対してきた北部同盟軍を援助・指導しつつ軍事作戦を開始すると、直ちにアメリカ特殊作戦軍の陸軍第5特殊作戦群を中心とする特殊部隊も投入され地上での作戦が開始された。
引き続き、タリバン対空砲陣地に対するアメリカ空軍による爆撃や、主として地上の特殊作戦部隊の誘導により、空軍の各種攻撃機や海軍の空母艦載戦闘攻撃機それに陸軍の攻撃ヘリコプターによるタリバン陣営に対するピンポイント攻撃、それに海軍艦艇からのトマホーク巡航ミサイルによる長距離精密攻撃などが開始された。このほか、イギリス軍攻撃機も爆撃に参加した。
11月までには、徹底的な空襲により北部同盟軍に対するタリバンの前線に対して大打撃を与えたことから、北部同盟軍によるタリバン撃破とカブール占領も間近であるとの見通しがたった。そこで北部同盟軍とCIAならびに特殊作戦群は北部同盟軍によるマザリ・シャリフ攻略を開始した。マザリ・シャリフはアフガニスタン北部の交通の要衝で、この都市を制圧するとタリバンの補給が寸断され、首都カブール攻略に大手をかけることになる。
北部同盟軍にCIA・特殊作戦群の支援部隊それにアメリカ空軍特殊作戦部隊などが加わってマザリ・シャリフ攻略作戦が開始された。11月9日、激闘の末1998年以来マザリ・シャリフを支配してきたタリバン勢力が一掃され、マザリ・シャリフは北部同盟軍の手に落ちた。しかし、タリバンの大軍がマザリ・シャリフ奪還に向かっているとの情報を多国籍軍側が得たため、アメリカ陸軍第10山岳師団がマザリ・シャリフに送り込まれ防御体制を固めた。これまで、アメリカ軍を始めとする多国籍軍の戦闘機や輸送機などはインド洋上の航空母艦あるいはウズベクスタンが提供した航空基地からのみ作戦行動をとることが出来たが、マザリ・シャリフを手に入れたことによって、この地の空港を出動拠点とすることが可能となり、首都カブールやタリバンの本拠地カンダハールへの作戦行動がより効率的になった。
勢いに乗った北部同盟軍・多国籍軍は首都カブールに進撃した。しかし、連合軍がカブールに迫ると、11月12日の夜半、タリバンならびにアルカイダはカブールから総撤収をして南部のカンダハールあるいは東南部のパキスタン国境の険しい山岳地帯へと姿をくらましてしまった。13日、北部同盟軍と多国籍軍は残存していた少数のタリバン武装勢力と短かい戦闘の後カブールを制圧した。
首都カブールからタリバンが排除されると、もともと反タリバン的であった諸都市からはタリバン勢力が排除された。そして北部の主要都市でタリバン軍が最後まで立て篭もったクンドゥズもアメリカ陸軍特殊部隊、英国陸軍特殊部隊(SAS)そしてアメリカ空軍ガンシップ(C-130)を中心とする多国籍軍・北部同盟軍とタリバンの激戦の末に、11月下旬までに北部同盟軍の手に落ちた。その結果、アフガニスタン内のタリバン側勢力は、タリバン誕生の地である南部カンダハールを中心に集結するタリバン軍とオサマ・ビン・ラディンが率いるアルカイダを中心とする武装勢力が立て篭もる東南部トラ・ボラ地域に追い込まれた形となった。
北部同盟軍ならびに反タリバン派にとっては、最後の攻撃目標となったのがカンダハールを中心に集結しているタリバンであった。旧王室派であったハーミド・カルザイやかつてのカンダハール州知事であったグル・アガー・シャザリなどが率いる反タリバン軍が北部アフガニスタンからの補給と援軍を絶たれたカンダハールのタリバン軍に対する攻撃を始めた。それに呼応して、多国籍軍も援軍を派遣することになりアメリカ海兵隊が出動することとなった。
11月25日、北部アラビア海洋上のアメリカ海軍強襲揚陸艦「ペリリュー」から第15海兵遠征隊(15 MEU)の分遣隊およそ1,000名がCH-53Eスーパー・スタリオン重輸送ヘリコプターに分乗してカンダハール方面に発進した。海兵隊部隊は、途中海兵隊空中給油機KC-130の給油を受けつつおよそ700kmを飛行してカンダハール市南西190kmのレギスタン砂漠に設置されていたタリバンの麻薬配送基地に着陸した。この4日前に、アメリカ海軍特殊部隊がこの基地を偵察し、タリバンが不在となっていることを確認していたため、戦闘は予期していなかったが、AH-1Wスーパー・コブラ攻撃ヘリコプターも途中空中給油をしながら同行してきた。第15海兵遠征隊先遣部隊は、ただちに麻薬配送基地を占拠して前進作戦基地「Camp Rhino」を設置した。この作戦は、揚陸艦からおよそ700kmにも及ぶ飛行を続けて作戦目的地に到達するという、海兵隊の水陸両用作戦史上最長距離のヘリコプター襲撃作戦となった。
「Camp Rhino」は多国籍軍による最初の軍事拠点となった。ただし、極めて厳しい気候条件のレギスタン砂漠の真っただ中にある基地は、劣悪な生活条件であり、シャワーも調理場もなかった。海兵隊員たちは倉庫のコンクリート床あるいは砂漠に直接寝るといった過酷な条件下で、周囲のパトロールを開始しタリバンやアルカイダの武装勢力の発見に務めた。その後直ちに「Camp Rhino」には、KC-130やC-17大型輸送機などにより兵器、武器弾薬、補給物資などが次々に搬入されるとともに、オーストラリア陸軍特殊作戦部隊(SASR)の将兵も送り込まれたため、基地の戦力は日に日に高まっていった。
北部同盟軍によるカンダハール攻撃が続いていたが、そのカンダハール近郊に多国籍軍が基地を設置し戦闘態勢を整えているため、タリバンは多国籍軍による本格的カンダハール市攻撃が間近いものと判断して、続々とカンダハールからパキスタン国境の峻険な山岳地帯であるトラ・ボラ地域へと移動を開始した。
「Camp Rhino」を拠点にパトロール活動を展開する海兵隊やSASR部隊とタリバンやアルカイダの武装勢力との小規模な衝突がしばしば発生したが、本格的な戦闘は生じなかった。やがて、第26海兵遠征隊(26 MEU)の増援部隊も「Camp Rhino」に到着し12月14日、カンダハール国際空港を占領した。12月24日、カンダハール制圧の多国籍軍先鋒を務めた第15海兵遠征隊は強襲揚陸艦へと引き上げ、2002年1月3日には前進基地「Camp Rhino」は閉鎖されカンダハール国際空港がアフガニスタン南部における多国籍軍の中心的軍事基地となっていく。
参考文献:
- Ian S. Livingstan & Michael O’Hanlon. 2012. Afghanistan Index. Brookings.
- Joseph J. Collins. 2011. Understanding War in Afghanistan. Washington D.C.: National Defense University Press.
- Marine Corps Association. 2002. USMC: A Complete History. Fairfield CT: Hugh Lauter Levin Associates, Inc.
〜添付図版等の公開準備中〜