アメリカ海兵隊の歴史<107>グレナダ侵攻

〜添付図版等の公開準備中〜

  • 実施期間: 1983年10月25日
  • 実施場所: グレナダ
  • 参加部隊: アメリカ海兵隊第22海兵水陸両用部隊、アメリカ陸軍レンジャー、アメリカ陸軍第82空挺師団、アメリカ海軍第4水陸両用戦隊、アメリカ海軍空母インデペンデンス戦隊、アメリカ海軍特殊部隊SEALs、アメリカ陸軍特殊部隊DELTA、アメリカ空軍特殊作戦群など。
  • 敵対陣営: グレナダ人民革命軍、キューバ軍(武装建設作業隊)など。
  • 米軍損害:戦死19名、戦傷116名
  • グレナダ人民革命軍損害:戦死45名、戦傷358名、
  • キューバ軍損害:戦死25名、戦傷59名、捕虜638名、
  • 民間人:戦死24名

左傾化を強めていたカリブ海の小国グレナダに対して、米国レーガン政権はグレナダが建設中のポイント・サリンス飛行場はキューバやソ連との軍事的結びつきを強化するとして懸念を表明していた。なぜならば、9,000フィート(2,700メートル)滑走路を有するこの空港にはソ連軍の大型航空機の発着が可能になり、グレナダがソ連軍の軍事拠点化して米国にとっての脅威となりかねないと危惧したからであった。そして1983年3月以来レーガン大統領は、9,000フィート 滑走路や多数の燃料貯蔵施設を有するポイント・サリンス飛行場はソ連軍ならびにキューバ軍の前進基地とみなさざるをえない、という警告を発し始めていた。

1983年10月14日、グレナダ首相モーリス・ビショップをはじめ政府首脳がキューバやソ連の後ろ盾を背景にしたグレナダ軍のクーデターにより銃殺され、オースティン将軍を首班とする革命軍事評議会がグレナダの実権を掌握した。この事態に対して東カリブ諸国機構6カ国(OECS:アンティグア・バーブーダ、バルバドス、ドミニカ、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、セントクリストファー・ネイビス)ならびにバルバドスとジャマイカは、キューバやソ連と緊密な左翼軍事政権がグレナダに誕生したためアメリカ合衆国に軍事介入を依頼した。(じつは、米国政府がこれらの諸国に働きかけて米国に依頼させた。New York Times, 10月28日)

カリブ海諸国からグレナダに対する軍事介入を“要請”された米国は、米国の隣国で政治指導者たちが殺害されて軍事クーデター政権が誕生したことは米国の安全保障に対する脅威である、それとともにグレナダにはセント・ジョージ大学の医学生たちが滞在しておりこれらの米国市民を救出する必要がある、という理由によりグレナダに対する軍事介入を決定した。作戦名はUrgent Fury(抑えきれぬ憤怒)。この作戦はベトナム戦争以来の本格的軍事作戦であり、アメリカ海軍第2艦隊司令官が総司令官に任命された。

形式上は東カリブ地域安全保障システム(RSS)諸国の軍隊(アンティグア・バーブーダ、バルバドス、ドミニカ、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン)とジャマイカ軍から構成されるカリブ平和軍(兵力353名)にアメリカ軍が加わってのグレナダに対する軍事介入であるが、実際はアメリカ軍(兵力7,300名)による侵攻とみなすことができる。

侵攻作戦決行日“D-Day”の10月25日未明、侵攻陸戦部隊である海軍特殊部隊SEALs、陸軍特殊部隊DELTAそして第22海兵水陸両用部隊(22MAU)を乗せた第4水陸両用戦隊(強襲揚陸艦USSグアム(LPH-9)、輸送揚陸艦4隻(LSTx2, LSD, LPD))ならびにUSSインデペンデンス(CV-62)空母戦闘群がグレナダ沖に接近した。

夜明け前、SEALsとDELTAの4部隊がグレナダ総督官邸、放送局、サリンス飛行場などに潜入するためヘリコプターで出動した。しかしながら、ヘリコプターから海に降下したSEALsの1隊4名は荒波に呑まれて行方不明になってしまった。その他の特殊部隊は、予定通りグレナダ総督官邸に潜入し総督の護衛についたり、飛行場などの敵情を侵攻部隊に伝達する作業を開始した。

0500時、強襲揚陸艦グアムから数機のヘリコプターでパールス飛行場に接近してきた第22海兵水陸両用部隊の上陸大隊は、滑走路に強行着陸しそれに気づいた人民革命軍の砲火の中を海兵隊員たちは次々と飛行場に降り立ち直ちに防御陣を敷いた。引き続き空港に隣接するグリーンビル郊外にも人民革命軍の12.7mm機銃の銃撃の中、ヘリコプターを強行着陸させて海兵隊員たちが続々と着地していった。すぐに海兵隊攻撃ヘリコプター・シーコブラが飛来し、人民革命軍側に攻撃を加えだすと、人民革命軍の防御射撃は弱くなり、攻撃態勢を固めた22MAUの反撃が開始されると0725時までにはパールス飛行場とグリーンビルの抵抗はなくなった。ただし海兵隊側も、2機のシーコブラが撃墜され3名の戦死者を出した。引き続き400名近い海兵隊員がパールス飛行場に送り込まれ、海兵隊の主任務であるグレナダ北部の制圧を開始した。

一方、グレナダ南端のポイント・サリンス飛行場には、0534時、上空500フィートに飛来したC-130ヘラクレス輸送機から陸軍レンジャー第一波襲撃部隊がパラシュート降下を開始した。C-130と降下したレンジャー部隊は激しい銃撃に見舞われたが、同行してきた空軍ガンシップAC-130スペクターから、人民革命軍陣地に対して猛射を浴びせC-130とレンジャーの降下作業を防御した。30分程度でレンジャー空挺部隊の降下は全て完了し、ただちに滑走路を制圧して後続する陸軍レンジャーならびに陸軍第82空挺師団襲撃部隊を迎え入れた。

ポイント・サリンス飛行場に降下した陸軍部隊の第一の任務は、ポイント・サリンス飛行場の完全確保ならびにセント・ジョージ大学トゥルー・ブルー・キャンパスのアメリカ人学生たちの保護であった。幸い、トゥルー・ブルー・キャンパスはポイント・サリンス飛行場滑走路に近接していたため、防御するキューバ軍の弱い抵抗を排除して、容易にアメリカ人学生たちを保護することが出来た。しかし、他のアメリカ人学生が、キューバ軍と人民革命軍が防御を固めているグランド・アンスの大学キャンパスにも滞在していることが判明した。

午後になると、ポイント・サリンス飛行場は完全にアメリカ陸軍部隊によって確保され、大型輸送機の発着が可能となったため、大型兵器の搬入や、第82師団の増援部隊それに補給物資が続々と運び込まれた。

この日の夕刻、首都セント・ジョージスの北方の町グランド・マリに第22海兵水陸両用部隊の2個中隊が水陸両用強襲車13輌と戦車5輌とともに上陸した。上陸中に人民革命軍側から小火器による銃撃が加えられたものの、海兵隊部隊が実際に上陸を開始すると人民革命軍は抵抗をやめて撤退してしまった。直ちに海兵隊部隊は、グランド・マリに防御陣地を構築した。

以上のように、ベトナム戦争以来初めての本格的軍事作戦でありかつ久々の水陸両用戦であった10月25日のグレナダ侵攻D-Dayにおける海兵隊の上陸侵攻作戦と陸軍の空挺作戦はほぼ成功裏に完了された。

翌26日早朝、グランド・マリに上陸した戦車を擁する海兵隊部隊は、セント・ジョージスに侵攻した。空母艦載攻撃機の近接航空支援を得て海兵隊部隊は人民革命軍とキューバ軍のセント・ジョージス守備隊を撃破し、0712時、昨日SEALsが潜入し総督を保護していたグレナダ総督府を確保し総督はじめ民間人たちを保護した。

一方、6機の海兵隊シーナイト中型輸送ヘリコプターに乗り込んだ海兵隊員と陸軍レンジャー隊員は、グランド・アンスの人民革命軍とキューバ軍部隊を急襲し撃退してグランド・アンス・キャンパスのアメリカ人学生たちを無事に保護した。

27日には、セント・ジョージス周辺の人民革命軍司令部を含んだ要塞化された数カ所の陣地に対する一斉攻撃を、海兵隊と陸軍レンジャー合同部隊が空母艦載機の近接航空支援を得て実施した。それらの軍事拠点にはキューバ軍と人民革命軍の主力が陣取っており、対空武器も整っていたためヘリコプター3機が撃墜されるなど最も激しい戦闘となった。結局、海兵隊と陸軍レンジャーはセント・ジョージス周辺の軍事拠点を全て制圧し、グレナダの首都セント・ジョージスはアメリカ軍側の手に落ちた。

一方、陸軍第82空挺師団はポイント・サリナス空港東部のキューバ軍・人民革命軍の軍事施設があったClivignyに対する空挺攻撃を実施した。空母艦載機と、沖合からの艦砲射撃の支援を得て、Clivignynyに着地した第82空挺師団侵攻部隊は軍事施設を占領した。この段階で、グレナダを防御していた人民革命軍とキューバ軍の組織的な防御戦は鎮定された。

28日からは、東カリブ諸国機構軍部隊が、グレナダ平和維持部隊としての活動を開始し、陸軍レンジャー部隊はグレナダから撤収した。そして、海兵隊部隊と第82空挺師団部隊によって、散発的に抵抗する人民革命軍を制圧する掃討作業が開始された。グレナダ島を脱出したキューバ軍部隊と人民革命軍部隊がカリカウ島に脱出したとの情報があったため、11月1日、第22海兵遠征隊上陸大隊がカリカウ島に派遣され上陸した。しかし、カリカウ島にはキューバ軍も人民革命軍も見当たらなかったため、11月2日はアメリカ軍による掃討戦は完了し、グレナダの治安維持は東カリブ諸国機構軍に移譲された。

11月3日、グレナダでの大学生を始めとする非戦闘員救出任務とグレナダ人民革命軍ならびにキューバ軍との戦闘任務を完遂した第22海兵水陸両用部隊は第4水陸両用戦隊とともに、本来の目的地であるレバノンへ向けてグレナダを出発した。

参考文献:

  • Ronald H. Cole. 1997. Operation Urgent Fury. Washington D.C.: Joint History Office.
  • Marine Corps Association. 2002. USMC: A Complete History. Fairfield CT: Hugh Lauter Levin Associates, Inc.

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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