アメリカ海兵隊の歴史<004>ナッソー襲撃

アメリカ独立戦争中の1776年、誕生後間もない大陸海軍(Continental Navy:アメリカ海軍)と大陸海兵隊(Continental Marine Corps:アメリカ海兵隊)は、大陸軍(Continental Army)の火薬・弾薬をイギリス軍から奪い取るため海をわたってイギリス領バハマへの遠征を実施した。このナッソー襲撃は、アメリカ海軍・海兵隊にとって初めての海外遠征であるとともに初めての水陸両用作戦であった。

ジョージ・ワシントンが率いる大陸軍は極度に火薬が欠乏していた。そこで大陸海軍によってバハマ諸島のニュープロビデンス島に貯蔵してあるイギリス軍の火薬や軍需物資を奪取するよう大陸会議に働きかけた。1776年2月17日、大陸会議の命を受けた大陸海軍は6隻の艦艇からなるバハマ遠征艦隊をデラウェアのケープ・ヘンロペンから出発させた。アイザック・ホプキンス代将が率いる艦隊には、大陸海兵隊総司令官サミュエル・ニコラス大尉が指揮を執る海兵隊員210名も乗り込んでいた。遠征艦隊の8隻の艦艇は以下のとおり。

  • フリゲート: アルフレッド(450トン、9ポンド砲20門、6ポンド砲10門)
  • フリゲート: コロンバス(203トン、9ポンド砲18門、6ポンド砲10門)
  • ブリッグス: カボット(192トン、6ポンド砲14門)
  • ブリッグス: アンドリュー・ドリア(190トン、4ポンド砲14門)
  • スループ: ホーネット(9ポンド砲10門)
  • スループ: フライ(9ポンド砲6門)
  • スループ: プロビデンス(4ポンド砲12門、旋回砲14門)
  • スクーナー: ワスプ(商船に艤装、2ポンド砲8門、旋回砲6門)

艦隊は嵐に近い強風吹き荒れる波濤を乗り越えつつバハマ諸島を目指した。ホーネットとフライが艦隊から離散してしまったが(ホーネットは帰港し、フライは艦隊に合流したが戦闘終結後であった)、残る6隻の艦隊は、3月1日にニュープロビデンス島の隣のグレート・アバコ島に到着した。そこで、大陸海軍は王党派のスループ2隻を拿捕した。しかし、王党派によりニュープロビデンス島ナッソーのバハマ知事ブラウンに、大陸海軍艦隊の襲来が報じられてしまった。

バハマ知事公舎のあるナッソーには、町を守るナッソー砦とナッソー港それに港を守るモンタギュー砦があった。火薬や軍需物資の大半はナッソー砦に貯蔵してあった。ブラウン知事は、反乱軍(アメリカ独立派)に火薬や軍需物資を奪われないようにするため、ナッソー港の船にそれらを移し替えて送り出してしまう計画を立てた。

大陸海軍艦隊は、海兵隊員を3隻の快速スループに乗り込ませて上陸部隊として3月3日未明にナッソー港に滑りこませ、本艦隊は上陸部隊後方の沖合で待機し、夜明け前に海兵隊によって町を奇襲し占拠してしまう計画を立てた。しかしながら、大陸海軍接近の報に備えていた王党派民兵軍側が、ナッソーに近づく上陸戦隊を発見し警報(大砲)を発した。そのため、奇襲作戦が失敗したことを悟った大陸海軍・海兵隊は、作戦を変更してモンターギュ砦の周辺2箇所に上陸することにした。

3隻のスループとワスプに分乗して上陸予定地点に向かった海兵隊員210名と大陸海軍水兵50名は、3日昼過ぎに上陸地点に到達し、午後2時までにはイギリス側民兵の抵抗を受けることなしに無事に上陸に成功した。これがアメリカ海兵隊による最初の上陸作戦ということになった。

ニコラス大尉が率いる上陸部隊の侵攻目的を把握するためにモンターギュ砦からはブラウン知事の副官が民兵部隊を率いて出動したが、両者の間で戦闘は発生しなかった。海兵隊との折衝の結果、反乱軍すなわち大陸海軍・大陸海兵隊の目的は火薬や軍需物資の奪取にあることが明らかになったため、モンターギュ砦に80名の民兵部隊とともに駆けつけたブラウン知事は、モンターギュ砦からナッソーへと撤収してしまった。その結果、4時までには、大陸海兵隊は無血でモンターギュ砦を占領した。しかし、本隊よりナッソーへの進撃命令はなかったため、とりあえず上陸侵攻部隊は占領したモンターギュ砦にその夜は留まった。

一方、ナッソーに戻った知事の一行や民兵部隊は、防御体制を固めることはせずに計画通りにナッソー砦から火薬と軍需物資を出来るだけ大量にナッソー港に停泊中の快速船ミシシッピー・パケットと英国軍艦セント・ジョンに移し替えた。夜中過ぎまでに、200樽あった火薬のうち162樽の積み込みが終わり、火薬と軍事物資を満載した2隻の船はナッソー港を出立しセイント・オウガスティンに向かった。大陸海軍指揮官のホプキンス提督はナッソー港の監視を怠っていたため、それらの船は火薬樽ともども無事脱出に成功した。

翌朝、ニコラス大尉の海兵隊と水兵からなる上陸部隊は、ナッソーの町に進軍したが、民兵部隊はすでに解散しそれぞれの自宅に帰ってしまっており、全く抵抗を受けることなくナッソーの街とナッソー砦を占領した。しかし、押収できた火薬は38樽だけであった。結局、大陸海軍と大陸海兵隊による初めての恊働作戦としての上陸侵攻は、敵との戦闘を交えることなく成功裏に完了したが、作戦目的の火薬の奪取は限定的成功に終わった。

参考文献:

  • Riley, Sandra; Peters, Thelma B. 2000. Homeward Bound: A History of the Bahama Islands to 1850 with a Definitive Study of Abaco in the American Loyalist Plantation Period. Miami: Island Research.
  • Marine Corps Association. 2002. USMC: A Complete History. Fairfield CT: Hugh Lauter Levin Associates, Inc.

〜添付図版等の公開準備中〜

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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