日本を恐怖に陥れたロシア艦隊の日本沿岸域襲撃(9)

日露戦争
ウラジオストク巡洋艦隊による通商破壊戦:1904年2〜7月

大勝利によって消え去った悪夢

ウラジオストク巡洋艦隊による通商破壊戦は実に効果的であった。とりわけ、1904年7月17日から8月1日までの津軽海峡から大平洋沿岸海域にかけての作戦は、日本海軍だけでなく日本国民にとっても悪夢であった。 日本の沿岸交通は麻痺し、国内交易と海外交易の両方がほぼ完全に停止してしまった。 その結果、日本の多くの都市で日用品が不足してしまう事態が生じた。そして、海運が途絶したあおりを受けて、日本人の主食である米の値段が高騰した。一方、株価は急落した。何よりも悪いことには、一般日本国民の海軍に対する信頼は消失してしまった。

ウラジオストク艦隊が帰還して間もない1904年8月10日、旅順の南東沖でロシア太平洋艦隊と日本海軍第一艦隊の間で艦隊戦が発生した。この黄海海戦では、ロシア海軍の艦艇も日本海軍の艦艇も共に沈没はしなかった。しかし、日本の旗艦「三笠」が被害を受け、64人の将兵が戦死した。 一方、ロシアの旗艦である「ツェサレーヴィチ」も被弾してウィットゲフト少将を含む73人の将兵が戦死した。 さらに、そして戦艦「ツェサレーヴィチ」、巡洋艦「アスコリド」、巡洋艦「ディアーナ」、および4隻の駆逐艦が武装解除された。 また巡洋艦「ノーウィック」は、樺太沖で日本第二艦隊の巡洋艦によって破壊された。駆逐艦「レジデヌイ」は日本海軍に捕らえられ、日本海軍に編入され駆逐艦「暁」と命名された。

4日後の8月14日、ウラジオストク巡洋艦隊(「ロッシヤ」「リューリク」「グロモボーイ」)と日本海軍第二艦隊(「出雲」「東」「常盤」「岩手」)の戦闘がついに勃発した。(蔚山沖海戦)

激しい砲撃と執拗な追撃戦の後、ロシアの装甲巡洋艦「リューリク」が撃沈された。ロシアの旗艦である「ロッシヤ」と重巡洋艦「グロモボーイ」は大きな被害を受けたものの、2隻の巡洋艦はウラジオストクに逃げ代えることに成功した。しかしながら、もはやウラジオストク艦隊はその戦闘力を失っていた。

黄海海戦と蔚山沖海戦の後、ロシア太平洋艦隊は再び要塞艦隊になった。 日本陸軍の第三軍が旅順軍港の背後にあるロシア軍要塞を激しく攻撃したため、ロシア艦隊は旅順湾の奥深くに退避した。

第三軍と艦砲旅団は、1905年12月5日、ロシア艦艇に対して28cm榴弾砲と15cm砲で砲撃を開始した。戦艦「セバストポル」を除くすべてのロシア戦艦と巡洋艦は、 12月8日に日本軍の砲撃が停止するまでの間に砲弾を浴びて沈没してしまった。12月12日、日本の水雷艇が戦艦「セヴァストポリ」を魚雷で攻撃し座礁させた。 他の全てのロシア小型艦と海軍施設も12月12日に破壊された。 この時点をもって、ロシア太平洋艦隊は壊滅したのである。

ロシア太平洋艦隊は姿を消したが、ロシア海軍の増援部隊であるバルチック艦隊はロシア第二大平洋艦隊、第三大平洋艦隊となってウラジオストクに向かっていた。

ロシア海軍バルチック艦隊と日本海軍連合艦隊との間の艦隊決戦(対馬沖海戦、あるいは日本海大海戦)は、1905年5月27日に発生した。約23時間に渡る断続的な海戦の結果、 38隻で編成されていたロシア艦隊は35隻の軍艦を失った。 一方、日本海軍が失ったのは水雷艇3隻だけであった。日本海軍連合艦隊はロシア海軍第二・第三艦隊を壊滅させ、ロシアの海洋戦力は極東地域から消え去ってしまった。

日本では、ロシア海軍に対する日本海軍の大勝利に驚喜した。 日本海軍は高く賞賛され、ウラジオストク艦隊による通商破壊戦に際してはすべての日本国民に非難されていた上村中将や東郷司令長官やその他の海軍指導者たちは、国民的英雄となったのである。

参考文献:

  • Jane, Fred T. 1904 (1984 reprinted). The Imperial Japanese Navy. London: Conway Maritime Press.
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第一巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第二巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第三巻、1911年、水交社蔵版・春陽堂
  • Mahan, Alfred Thayer. 1941. Mahan on Naval Warfare. edited by Allan Westcott. New York: Dover Publications.
  • 佐藤市郎著、海軍五十年史、1943年、鱒書房
  • 外山三郎著、日露海戦新史、1987年、東京出版
  • Evans, David C. & Mark R. Peattie. 1997. Kaigun: Strategy, Tactics, and Technology in the Imperial Japanese Navy 1887—1941. Anapolis, Maryland: Naval Institute Press.

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〜添付図版等の公開準備中

    “征西府” 北村淳 Ph.D.

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