日本を恐怖に陥れたロシア艦隊の日本沿岸域襲撃(5)

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日露戦争
ウラジオストク巡洋艦隊による通商破壊戦:1904年2〜7月

金州丸事件

4月下旬、上村中将は第二艦隊を率いてウラジオストク艦隊を撃滅するために出動した。4月22日、第二艦隊は元山に寄港した。元山の日本守備隊隊長は、韓半島東岸北部沿岸部偵察部隊を派出するために、海軍艦艇の応援を上村中将に求めた。上村中将は輸送船「金州丸」と4隻の魚雷艇に偵察部隊の搬送と護衛を命じ、4月24日朝、第二艦隊本隊はウラジオストクに向けて元山を出港した。翌朝「金州丸」に乗り込んだ偵察部隊は、4隻の魚雷艇の護衛を伴って元山を出港した。

その日の11時30分ごろ、突如ウラジオストク艦隊の3隻の装甲巡洋艦と2隻の魚雷艇が元山沖に出現した。ロシア魚雷艇は元山港に突入し、停泊していた日本の貨客船「五洋丸」を撃沈すると、ウラジオストク艦隊は元山を立ち去った。引き続いて同日の夕刻、ウラジオストク艦隊は韓半島北東沿海を航行中の日本の商船「萩の浦丸」を撃沈した。

第二艦隊本隊も偵察部隊も共にこれらの事件を知る由もなかった。偵察部隊は韓半島北東岸の小さな町に上陸した。しかし、天候の先行きが怪しくなってきたため、偵察艦隊の司令は撤収を勧告した。そこで偵察部隊は偵察任務を切り上げることにして、元山に向かって帰還することに決した。しかしながら、既に海は荒れており89トンの魚雷艇では元山に向かうことはできなかった。そこで、「金州丸」は単独で元山目指して南下を開始した。

ちょうどそのころ、ウラジオストクに向かっていた第二艦隊本隊も荒天に阻まれてウラジオストク艦隊攻撃を断念し南下を開始した。

4月25日の深夜、「金州丸」は軍艦を発見した。「金州丸」の士官達はそれらを第二艦隊と判断した。しかし、それらはウラジオストク艦隊巡洋艦であった。ロシア巡洋艦は「金州丸」を捕獲すると共に、日本の士官全員を逮捕し「金州丸」と乗船していた兵士達の処遇についての交渉を開始することになった。日本の士官達がロシア巡洋艦に護送された直後、ロシア巡洋艦は未だに日本兵が乗船していた「金州丸」に対して一斉に砲門を開いた。更に、ロシア軍艦は金州丸に魚雷と機関銃を浴びせ、「金州丸」は65名の兵士と共に海底に消えていった。

この事件は日本海軍幹部に大きな衝撃を与えた。なぜならば、きわめて深い濃霧の中でかつ悪天候であったとはいえ、第二艦隊とウラジオストク艦隊は互いに2度もすれ違っていたにもかかわらず、全く探知することができなかったからであった。一方、日本の世論はこの事件に関してそれほど大きな関心を示さなかった。というのは、時を同じくして伝わった、満州朝鮮国境地帯において日本陸軍がロシア陸軍を打ち破ったニュースに沸いていたからであった。

第二艦隊司令官上村中将はウラジオストク艦隊に対する復讐を決意した。しかしながら、第二艦隊はウラジオストク艦隊に対する攻撃を中止するように命じられた。そして、南満州へ侵攻する日本軍への補給ラインの安全をより確保するために対馬海峡の警戒任務が第二艦隊に下命された。

(図)金州丸事件航跡

参考文献:

  • Jane, Fred T. 1904 (1984 reprinted). The Imperial Japanese Navy. London: Conway Maritime Press.
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第一巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第二巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第三巻、1911年、水交社蔵版・春陽堂
  • Mahan, Alfred Thayer. 1941. Mahan on Naval Warfare. edited by Allan Westcott. New York: Dover Publications.
  • 佐藤市郎著、海軍五十年史、1943年、鱒書房
  • 外山三郎著、日露海戦新史、1987年、東京出版
  • Evans, David C. & Mark R. Peattie. 1997. Kaigun: Strategy, Tactics, and Technology in the Imperial Japanese Navy 1887—1941. Anapolis, Maryland: Naval Institute Press.

日本を恐怖に陥れたロシア艦隊の日本沿岸域襲撃:目次

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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