日露戦争
ウラジオストク巡洋艦隊による通商破壊戦:1904年2〜7月
ウラジオストク巡洋艦隊
日露戦争前、ロシア太平洋艦隊は旅順を本拠とした本隊(旅順艦隊)とウラジオストク(Владивосток:ヴラヂヴォストーク、ウラジオストック)を本拠とした支隊(ウラジオストク巡洋艦隊)とから構成されていた。旅順艦隊は、7隻の戦艦、10隻の巡洋艦、7隻の砲艦、25隻の駆逐艦、その他の艦艇からなる強力な艦隊であった。一方、ウラジオストク艦隊は、3隻の装甲巡洋艦(「ロシア」「リューリック」「グロモボイ」)、1隻の軽巡洋艦、1隻の仮装巡洋艦、それに17隻の魚雷艇からなる小規模な艦隊であった。ウラジオストク艦隊は、戦闘力は小規模であったが、日本海軍に対して幾つかの利点を持っていた。
第一に、ウラジオストク(正しくはウラヂヴォストーク:ウラヂ=支配する、ヴォストーク=東方、すなわち「東方を支配する拠点」という意味の都市、本コラムではウラジオストクと表記する、ただし挿図中では
ヴラヂヴォストークと表記している)はロシア領土内では最も南に位置する港であった。それに加えて、ウラジオストク艦隊はシベリア経由で補給物資を受け取ることが可能であった。(ちなみに、ウラジオストク艦隊と違ってロシア旅順艦隊は、補給物資を日露開戦後は戦場となる可能性が高かった満州を経由しなければ受け取ることはできなかった。)
第二に、日本海軍が日本海に多数の軍艦を配置しない限り、ウラジオストク艦隊は韓半島東海岸を支配することが可能であった。そして、日本海軍が以下の作戦を同時に遂行するために十分なだけの軍艦を保有していなかったため、日本海に戦力を割くことができないことは明白であった。
- (1) ロシア旅順艦隊との艦隊決戦を遂行する作戦
- (2) 日本列島と韓半島を結ぶ満州で戦闘する日本軍への補給ラインを確保する作戦
- (3) ウラジオストク艦隊の行動を封じ込める作戦
第三に、ウラジオストクは戦略的要地であった。というのは、ウラジオストクは津軽海峡へはおよそ100海里、宗谷海峡へはおよそ200海里、そして対馬海峡へはおよそ250海里に位置しているからであった。 もし、ウラジオストク艦隊が出撃してそれらの海峡を封鎖してしまったならば、日本の海上交通路は大きな打撃を受けるのは必至であった。
このような理由によって、日本海軍としてはウラジオストク艦隊による脅威は決して無視することができないものであった。
日本海軍連合艦隊
対露戦争における日本の政治的目的は、ロシアの韓半島や日本列島に対する領土的拡張の野心を挫くためにロシアの勢力を満州から駆逐することにあった。この目的を達するために、日本軍はロシア軍を満州から追い出さなければならなかった。したがって、日本海軍はロシア太平洋艦隊を撃破して満州に展開する日本陸軍への補給ラインを確保しなければならなかった。
日本海軍は、第一艦隊・第二艦隊・第三艦隊からなる連合艦隊を編成した。第一艦隊は、6隻の“一級”戦艦を擁して名実ともに日本海軍の主力艦隊であった。第二艦隊は6隻の“一級”装甲巡洋艦を主力に据えて、第一艦隊とともに日本海軍の主戦力を担う艦隊であった。一方、第三艦隊の主力艦は一線級の軍艦ではなかった。
日本の政治・軍事指導者達は連合艦隊がロシア太平洋艦隊を撃破することを切望したため、海軍軍令部は東郷平八郎中将が指揮する第一艦隊と上村彦之丞中将が指揮する第二艦隊を旅順港に篭るロシア太平洋艦隊本隊に対する攻撃任務を割り当てた。第三艦隊は、日本と南満州の補給ラインを確保するために、対馬海峡と韓半島西海岸の警戒監視任務が割り当てられた。第三艦隊司令官の片岡七郎中将は6隻の巡洋艦と1隻の旧式戦艦ならびに16隻の魚雷艇によって津軽海峡を警戒に当たるとともに10隻の旧式軍艦を韓半島南沿海域での緊急事態に対する出動態勢を備えさせた。
参考文献:
- Jane, Fred T. 1904 (1984 reprinted). The Imperial Japanese Navy. London: Conway Maritime Press.
- 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第一巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
- 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第二巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
- 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第三巻、1911年、水交社蔵版・春陽堂
- Mahan, Alfred Thayer. 1941. Mahan on Naval Warfare. edited by Allan Westcott. New York: Dover Publications.
- 佐藤市郎著、海軍五十年史、1943年、鱒書房
- 外山三郎著、日露海戦新史、1987年、東京出版
- Evans, David C. & Mark R. Peattie. 1997. Kaigun: Strategy, Tactics, and Technology in the Imperial Japanese Navy 1887—1941. Anapolis, Maryland: Naval Institute Press.
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