日本を恐怖に陥れたロシア艦隊の日本沿岸域襲撃(1)

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日露戦争
ウラジオストク巡洋艦隊による通商破壊戦:1904年2〜7月

外敵の侵攻が途絶えた500年

元寇よりおよそ550年後の19世紀初頭に西洋列強の軍艦が日本沿海に姿を見せるまで、日本の為政者たちは真剣に外敵の侵攻に備える努力はしなかった。ただし、対馬や壱岐といった島嶼や領地に海岸があった国主や藩主は存在していため、海から押し寄せてくる外敵に対する防衛策という発想自体が皆無であったわけではない。

しかし、元寇に際してのように石塁を構築しての海岸線での防衛や、上陸進攻してきた敵軍を陸上での戦闘で撃破した経験などから、「海から押し寄せてくる敵は、まず海岸線で迎え撃ち、引き続き内陸に誘い込んで殲滅する」という防衛思想が完全に定着していた。

そのためイギリスのように「海から押し寄せる敵は、こちらからも海軍を押し出して海上で撃破し、敵侵攻軍は一歩たりとも上陸させない」という発想はみられなかった。その結果、18世紀末期に林子平が『海国兵談』で日本防衛のための海軍の必要性を主張するまでは、海軍建設などを本格的に論ずるものはなく、その林子平も弾圧されてしまった。

さすがに西洋列強の強力な軍艦の脅威を直接目にし始めると、海軍の必要性に目覚めた人々が登場し、近代国家建設を目指した明治政府は海軍の建設をイギリス海軍を師として急速に実施することになったのである。

日本国民にとって日露戦争中最大の恐怖

イギリス海軍の直弟子として構築された明治期の大日本帝国海軍は、イギリスの伝統的防衛思想をも受領した。やがて満州を占領したロシアの朝鮮半島そして日本への侵略の危機が高まると、「敵侵攻軍は絶対に日本周辺海域で撃破しなければならない、できれば敵の本拠地(この場合満州)で撃破してしまうべきである」という基本方針が採択され、日本はロシアとの戦争に突入した。

大日本帝国海軍(以下、日本海軍)は、ロシア極東艦隊の本拠地である旅順軍港の攻略とロシア極東艦隊の撃破に徹底してこだわった。海軍の戦略に呼応して大日本帝国陸軍(以下、日本陸軍)も、ロシア軍が船に乗って日本に侵攻を開始する遥か以前の段階で、満州に出撃してロシア軍の朝鮮半島への南下を防ぐ、という基本戦略を実施した。

ロシア軍に明確な日本侵攻計画が存在したかどうかはともかく、誕生後まもない近代軍であった日本の海軍と陸軍は、日本伝統の敵侵攻軍を陸地にこもって待ち受ける戦略ではなく、イギリス流の海洋国家国防原則に立脚した戦略を打ち立てた。

すなわち、日本周辺海域を後方制海域と朝鮮半島沿海域を前方制海域と認識して、前方制海域に出動してくるロシア艦隊出撃基地に対して海軍が攻撃を仕掛け、海洋での優勢を確保する。このようにして日本と朝鮮半島そして満州の海上補給路を安全に保ちつつ、前方制海域の奥に位置する満州に陸軍を送り込んで南下をもくろむロシア陸軍部隊に対して地上戦を挑む。このような戦略は基本的には功を奏し、日本を防衛することは成功したのであった。

しかしながら、その光栄ある日露戦争での“勝利”の影には、日本海軍を混乱の極みに追い込み、日本の人々を恐怖のどん底に陥れたロシア艦隊による通商破壊戦(1904年2月から1904年7月)という、日本にとってはまさに悪夢の経験があったのだ。

ところが、この悪夢の記憶は、1904年8月から1905年5月における日本海軍のロシア海軍に対する勝利、とりわけ1905年5月の対馬海戦(あるいは日本海大海戦)における日本連合艦隊による世界海戦史上特筆すべき大勝利によって、消し去られてしまった。その結果、日本海軍がロシア太平洋艦隊を全滅させたという栄光の記憶だけが日本の人々の心に浸透した。

その結果、日本海軍そして日本人は、ロシア艦隊による通商破壊戦から学び得た貴重な教訓を無駄にしてしまったのだ。そして、ロシア海軍を打ち破った大勝利から40年、日本海軍はアメリカ海軍によって全滅させられてしまったのである。

皮肉なことに、日本では忘れ去られてしまったロシア艦隊による通商破壊戦こそが、日露戦争から最も貴重な教訓を引き出す教科書的事例であるとして、日露戦争後から現在に至るまで米英海軍戦略家によって学ばれているのである。

参考文献:

  • Jane, Fred T. 1904 (1984 reprinted). The Imperial Japanese Navy. London: Conway Maritime Press.
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第一巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第二巻、1910年、水交社蔵版・春陽堂
  • 海軍軍令部編纂、明治三十七八年海戦史:第三巻、1911年、水交社蔵版・春陽堂
  • Mahan, Alfred Thayer. 1941. Mahan on Naval Warfare. edited by Allan Westcott. New York: Dover Publications.
  • 佐藤市郎著、海軍五十年史、1943年、鱒書房
  • 外山三郎著、日露海戦新史、1987年、東京出版
  • Evans, David C. & Mark R. Peattie. 1997. Kaigun: Strategy, Tactics, and Technology in the Imperial Japanese Navy 1887—1941. Anapolis, Maryland: Naval Institute Press.

日本を恐怖に陥れたロシア艦隊の日本沿岸域襲撃:目次

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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