アメリカ海兵隊の歴史<008>帆走軍艦終焉と海兵隊

米墨戦争勃発以前から、帆走軍艦に蒸気機関を組み合わせるという軍事技術革新が始まった。初期の蒸気機関搭載の軍艦には、従来通りに帆走装備が残され、風向きによっては蒸気ではなく帆走で航海したが、搭載するエンジンの性能の進展に伴って帆走する必要性が低下し、やがて19世紀後半には帆走軍艦は姿を消した。

蒸気機関(レシプロ式蒸気機関)による動力を利用できるようになったことにより、軍艦の運航にとって風が思い通りに吹かない場合でも、軍艦を自由に動かすことができるようになった。それに加えて、蒸気機関により発生する推進力(初期は外輪推進であったが、スクリュープロペラ推進に進化した)は風力より効率が良く強力であったため、木造船よりも重い艦船の建造が可能になった。そこで当初の蒸気機関搭載軍艦は木造帆走軍艦の要所要所に鉄板を貼付けて装甲を施したが、やがて船体自体を鋼鉄で覆う鋼鉄装甲艦(Iron Clad)が誕生した。

軍艦の大幅なそして急速な技術革新にともなって、軍艦の乗組員に求められる条件も根本的に変化するに至った。帆走軍艦時代は帆の操作のために大量の動力源としての水夫が必要であったため、既に触れたようにイギリス海軍では強制徴募といった手段まで使って誰でもよいからできるだけ人数を多く腕っ節の強い荒くれものをかき集めた。しかし、装甲鋼鉄艦の時代になると、軍艦を動かすためには様々な機械の操作に習熟した乗組員が必要になった。つまり、海軍士官や下士官のみならず多くの一般乗組員も担当任務の熟達者としての専門的水兵であることが要求された。そこで、ある程度専門的な技術を身につけ得る者たちを募って水兵にするという方式が採用されるようになった。この点は、もともと強制徴募など行われなかったアメリカ海軍でも事情は同じであった。

その結果、海軍に志願して軍艦に乗り組んでいる水兵たちが上官に対する反抗や反乱を企てる可能性は極めて低く、また軍艦内における水兵同士のけんか沙汰も少なくなったため、水兵に目を光らせたり威圧して命令を守らせる必要性は乏しくなった。さらに、同じ軍艦に勤務する者の間で海兵隊員が水兵を監視するといった構造は水兵側の反発を招き逆に軍艦内秩序を崩しかねないといった判断がなされた。したがって、海兵隊による軍艦内憲兵隊としての役目は実質的には消失した。

また鋼鉄装甲艦は、軍艦の構造や動力が進化しただけでなく、軍艦に搭載する大砲や砲弾の性能も飛躍的に強力になった。そこで帆走軍艦時代とは大幅に海戦の方法が変化し、敵艦に接近して敵兵を小銃で射撃したり、敵艦に接舷し乗り移って白兵戦を展開するといった戦法はほぼ消滅した。

このように軍艦が木造帆走船から鋼鉄装甲艦に進化した結果、海兵隊の任務であった軍艦内警察、接近戦での敵艦に対するライフル射撃、敵艦にボーディングしての白兵戦という任務はほぼ消滅し、上陸に際しての戦闘、貿易拠点や軍事拠点の警備、それに紛争地に急行しての陸上での戦闘といった軍艦内ではない陸地での任務が海兵隊に残されたのである。

このように海兵隊の役目が大きく変わった時期に勃発したのが米西戦争であった。

参考文献:

  • Marine Corps Association. 2002. USMC: A Complete History. Fairfield CT: Hugh Lauter Levin Associates, Inc.
  • Naval Historical Foundation. 2003. U.S.Navy: A Complete History. Fairfield CT: Hugh Lauter Levin Associates, Inc.
  • Ian Dickie et.al. 2009. Fighting Techniques of Naval Warfare 1190 BC ~ Present. New York: St. Martin’s Press.

〜添付図版等の公開準備中〜

本コラムの著者:“征西府”主幹 Centre for Navalist Studies 北村淳 Ph.D.

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