〝征西府〟は日本の国防は重武装永世中立主義に立脚するべきであると考えている。その第一の根拠は、日本の国防原則は海洋国家の国防原則に遵わねばならないからである。そこでまず明らかにしておかなければならないのは、「海洋国家」という語である、というのは海洋国家という語を単に「海に囲まれている国」と言ったふうに理解したのでは海洋国家の国防を論ずることができないからだ。本小冊子では「海洋国家」についての社会科学的定義を記述する。
地政学とは「思考の枠組み」であると述べたが、伝統的な地政学にはいくつかの「理論」とみなされている「考え方」が存在する。そのような理論やそれを構成する概念が流布しているがために、地政学は社会科学的な雰囲気を醸し出しているのだ。そのような地政学的理論のなかでも幅広く流布したものの一つに次のような「理論」がある。
「ハートランドに位置するランドパワーが、更なる国力増進を目論んでリムランドに膨張して海洋に押し出そうとすると、リムランドの外縁に位置するシーパワーと対立することになり、リムランドにおいて大規模衝突が発生することになる。しかし本来的なランドパワーは同時にシーパワーにもなることはできないため、結局はランドパワーによる膨張の試みはシーパワーあるいはシーパワー連合に押し戻されてしまうことになる。」

<ハートランド>
ハートランドというのはユーラシア大陸の中央部の広大な地域を意味する。
<リムランド>
リムランドというのはハートランドを包むような形で横たわるユーラシア大陸周縁部を意味する。
<ランドパワー>
ランドパワーというのは、主として陸上の交易や交通手段を利用して国力を強大化したロシア帝國、モンゴル帝国(元)、清国、ドイツ帝国、ナチスドイツ、ソビエト連邦、中華人民共和国などユーラシア大陸に存在する(存在した)強大な国々を意味する。
<シーパワー>
シーパワーというのは、地形的には海に面しており経済活動(海運、貿易、漁業など)を海洋に大きく依存する国々であり、それらの経済活動を維持、発展させつつ国力を増強させるために十分な軍事力を保有する軍事的にも経済的にも強大な国々を意味する。イギリスとアメリカがその代表であるが、歴史的にはアテナイ、カルタゴ、スペイン、オランダ、そして日本(一時期の大日本帝国)などもシーパワーとされていた。
かつては上記の地政学的理論が流布していたため「ランドパワーであるドイツが同時にシーパワーにもなるべく海軍力を膨張しようとしたものの第一次世界大戦でも第二次世界大戦でもシーパワーであるイギリスやアメリカに敗北した」あるいは「ランドパワーであるソビエト連邦はシーパワーにもなるべく軍拡に取り組みシーパワーのアメリカとの冷戦に突入したが結局ランドパワー兼シーパワーという強大な国家は成り立たず、シーパワーのリーダーであるアメリカに敗北した」といった具合にしばしば歴史の流れが地政学的に説明されることがある。
それと同様に「本来的にランドパワーである中華人民共和国がシーパワーにもなるべく勢力を拡張しようとして覇権主義的海洋侵出政策を推し進めているためシーパワーのアメリカとの対立が激化しているが、本来的にはランドパワーである中国がいくらシーパワーとしても並び立つことはできないため、結局はアメリカを中心とするシーパワー連合によって封じ込められてしまうであろう」といった“地政学的理論”をもとにした科学的な雰囲気を持った予見まで語られている。
しかしながら、それらの伝統的な地政学で語られてきた「理論」はあくまでも地形的諸条件と国際政治行動を結びつけて決定づけてしまう教条主義的原則論に陥りやすいという危険性が存在する。たとえば、「シ—パワーとランドパワーは必ず衝突する」「本来ランドパワーたるべき国はシーパワーにはなり得ない」という“地政学的原則”に拘泥してしまうと、一旦シーパワーあるいはランドパワーと定義づけられた国は、そのように定義づけられたがために原則に基づいて行動すると考えることになってしまうのである。その結果、そのような原則に縛られて思考停止に陥り「思考の枠組み」としての地政学には適合しないことになってしまうのだ。
このような地政学的理論の危険性に関する議論は本小冊子の取り扱う対象ではないのであるが、上記の理論を代表とする伝統的な地政学で用いられてきているシーパワーの概念こそが本小冊子の主題である「海洋国家」の概念の起源といえる。しかしながら本小冊子においては、シーパワーの概念と海洋国家の概念の間には若干の相違があるため、それぞれの概念の説明に入る前に定義を記しておくことにする。
海洋国家の定義
下記の諸条件をすべて満たしている国家を海洋国家と呼称する。
地形的前提:国土に海岸線を有している、すなわち内陸国ではないこと。
地理的前提:国民経済の発展と安定を海洋交易に大幅に依存している。
海運力:海洋を経由する交易を実施するために必要な海運力を保持している。
海洋軍事力:国土と海洋交易を外敵の脅威から防衛するために必要な海洋軍事力を保持している。
造船力:海運と海軍に用いる船舶を建造し維持するために必要な造船力を保持している。
シーパワー(海洋強国)の定義
海洋国家のうち海洋軍事力が極めて強力な国家を「シーパワー」あるいは「海洋強国」と呼称する。