- 実施期間: 2011年3月12日〜4月7日(海兵隊の作戦行動)
- 実施場所: 日本
- 参加したアメリカ海兵隊部隊: 第3海兵遠征軍、第31海兵遠征隊
本項での記述は、アメリカ軍によるトモダチ作戦での活動のうち、主として海兵隊が関与した活動に絞って記述してある。米軍全体の活動に関しては拙著「写真で見るトモダチ作戦」(並木書房刊)を参照のこと。
3月15日火曜日:アメリカ海軍ヘリコプター部隊による直接的支援
仙台沖:アメリカ海軍イージス駆逐艦プレブル
ロナルド・レーガン空母打撃群に所属し救援活動に参加しているイージス駆逐艦プレブルからは、ヘリコプターによって被災地に救援物資の搬入を行い、この日も700ポンドの物資を被災者たちに届けた。同時に、同乗する対潜航空部隊の対潜ヘリコプターを活用して海岸線沿いの被災地上空からの捜索と被災地の状況を詳細に観察し救援部隊の活動情報として報告する任務も実施していた。
このような捜索活動を実施していたヘリコプターが、大きなSOSとH(ヘリポートのマーク)が地面に描かれ助けを求めている孤立地点を発見し、緊急着陸して孤立地点の被災者たちの状況を把握し、艦に救援物資の手配を要請した。連絡を受けたプレブルの乗組員たちは自分たちの携行する防寒衣料や毛布それに非常用食料や飲料をかき集めるとともに、艦の貯蔵庫からも食料や飲料水を拠出して、ヘリコプターの到着を待った。艦に取って返したヘリコプターは急遽集まった救援物資を満載して孤立地点に取って返し孤立地点の被災者たちに送り届けた。このように、米軍ヘリコプターにより孤立地点が発見され緊急支援がなされる例はこれを皮切りにしばしば起きることになった。
仙台
第Ⅲ海兵遠征軍前進部隊司令部を仙台に設置した海兵隊は沖縄−岩国−厚木−仙台を結ぶコミュニケーションライン(輸送機や輸送ヘリコプターの搬送航路)を確立し、救援物資と隊員の行き来が活発になった。先日、空軍と共同で視察した山形空港も間もなくコミュニケーションラインに組み込まれるため、さらに補給が強化され救援活動が充実する。前進司令部が設置された仙台では、海兵隊の各種ヘリコプターが岩国や厚木から到着する救援物資の積み降ろしや、被災地へ向かうヘリコプターへの積み込みに追われており、ひっきりなしに海兵隊ヘリコプターの発着が続いた。
苫小牧港
アメリカ海軍佐世保軍港から被災地沖に急行した佐世保を母港とする揚陸輸送艦トーテュガは、陸上自衛隊の車両や救援資機材を被災地に送り込むために北海道の苫小牧港へ入港した。苫小牧港に米海軍軍艦が入港したのは、これが初めてである。揚陸輸送艦トーテュガの揚陸艇や水陸両用強襲車を収納するウェルドック内には多数の車両や資機材が積載できる上、通常は海兵隊ヘリコプターが発着する飛行甲板にも軍用車両が搭載可能であり、広大な倉庫スペースには救援物資を大量に積み込むことができる。苫小牧港には米海軍揚陸艦に積み込んで本州に送るために陸上自衛隊の車両や自衛隊員たちが集結した。
西太平洋
海兵隊第31海兵遠征隊が分乗したアメリカ海軍第11水陸両用戦隊の強襲揚陸艦エセックスと揚陸輸送艦ジャーマンタウンは、救援活動に参加するために、それぞれ訪問先の東南アジアから日本に急行していた。南シナ海から西太平洋へと北上したエセックスはいよいよ日本が間近に迫り艦上ではヘリコプターを始めとする救援資機材の最終点検が進んでいた。同様に東南アジアから日本を目指して急行中のアメリカ海軍イージス駆逐艦ジョン・S・マッケーン(DDG 56)は、アメリカ海軍補給給油艦ブリッジ(T-AOE 10)から洋上燃料補給を受け航行を続けた。一方、第7艦隊旗艦ブルー・リッジもシンガポールから日本へ向けて南シナ海を北上中である。シンガポールに到着と同時に急遽反転急行しているブルーリッジもアメリカ海軍補給給油艦から洋上補給を受け同時に被災地に運ぶ救援物資も積み込みながら航海を続けた。
仙台沖:原子力空母ロナルド・レーガン
既に被災地沖には数隻のアメリカ海軍駆逐艦とロナルド・レーガン原子力空母(CVN76)が捜索救難活動やヘリコプターによる被災地への救援物資補洋上給基地として展開中であった。CVN76ロナルド・レーガンに艦載されているBlack Knights対潜水艦戦ヘリコプター部隊も対潜ヘリコプターHH-60H Sea Hawkを捜索救難活動並びに救援物資運搬活動に従事させている。
3月16日水曜日:補給拠点としての仙台空港回復
仙台空港
仙台空港を救援活動補給拠点とするために既に空港敷地内の瓦礫の撤去作業が開始されていたが、いよいよアメリカ空軍特殊部隊と空港整備専門チームが乗り込み空港を軍用輸送機やヘリコプターが本格的に使用するための作業を実施することになった。
アメリカ空軍やアメリカ海兵隊は、戦闘中に破壊され通常の使用が不能になった航空施設を使用して自軍や味方の輸送機などの発着を可能にするための特殊作戦チームを有している。仙台空港を補給基地として使用するために、このような特殊作戦チームとして沖縄の嘉手納基地に常駐している第320特殊戦術飛行隊の専門家たちが仙台空港に送り込まれ、空軍やその他の米軍輸送機が発着できる態勢を整えていた。
滑走路の瓦礫の撤去や緊急管制システムの用意が整い、空軍戦闘管制チームが特殊作戦機MC-130H Combat Talon IIの着陸を待ち受けた。そして、大震災の地震と津波により仙台空港が壊滅して5日目に、アメリカ空軍特殊作戦機が仙台空港に着陸を敢行し、これ以後仙台空港は軍用機の発着が可能な救援活動の補給拠点として機能することになり、トモダチ作戦による被災地への救援活動に拍車がかかることになった。
苫小牧港
陸上自衛隊が救援活動に投入する車両が集結した苫小牧では、アメリカ海軍揚陸輸送艦トーテュガ(LSD-46)へ自衛隊の車両を積み込む作業が行われた。トーテュガの飛行甲板には装甲車両を含んだ陸上自衛隊車輛が積載されたほか、通常は揚陸艇や水陸両用戦闘車が収納されるウェルドックには救難物資を満載した輸送車輛をはじめとする各種救援活動用車輛が収容された。揚陸艦を運用する専門の軍港ではない商業港である苫小牧港のため、自衛隊の車輛はいったんトーテュガがウェルドックに収納していた揚陸艇(LCU:汎用揚陸艇)に載せられ、揚陸艇で人工ビーチ化した揚陸艦トーテュガのウェルドックに移送するという方法がとられた。陸上自衛隊員およそ300名と陸上自衛隊の各種車輛およそ100輛を積載したトーテュガは大湊を目指して苫小牧を後にした。
第Ⅲ海兵遠征軍:普天間基地・岩国基地・厚木基地
沖縄の第Ⅲ海兵遠征軍普天間基地では被災地に送る大量のペットボトル入り飲料水ならびに、日本政府から米国政府に対して福島第一原発事故処理出動要請があった場合に備えてCBRNE対処資機材をKC-130J Super Herculesに積み込み、出動する海兵隊員たちとともに厚木基地へと送り出した。
沖縄から航空機と船舶で救援物資や出動要員がひっきりなしに到着する岩国基地からも海兵海兵隊員とともに救援物資が厚木へと向かった。厚木基地からは、軍用大型輸送機の使用が可能になった仙台空港に向けて、到着したばかりのペットボトル飲料水などの救援物資の積み替え作業が行われ、被災地へと急送した。
アメリカ空軍特殊作戦機
第320特殊作戦飛行隊を中心とした仙台空港復旧チームによって仙台空港が補給基地として使用可能になったため、沖縄嘉手納基地から横田基地に移動してきた空軍第353特殊作戦群本隊はMC-130P Combat Shadow 特殊作戦機に乗り込み資機材と救援物資とともに捜索・救援活動のために仙台空港へと急行した。アメリカ空軍は横田基地・三沢基地・仙台空港と三つの救援補給拠点を大型輸送機で結び救援活動のスピードアップをはかることが可能になった。
OPERATION TOMODACHI
この日のアメリカ海兵隊ニュースには、自衛隊が主導する東日本大震災被災地における捜索救援活動を在日アメリカ統合軍が自衛隊を支援するかたちで行われる合同作戦の作戦名が、日本政府の選択によって「OPERATION TOMODACHI」となり、TOMODACHIとはfriendsを意味するという記事が掲載された。この名称は、アメリカ軍だけでなく一般市民にも評判が良く、Operation Tomodachiという名称はすぐに定着した。
3月17日木曜日:第31海兵遠征隊到着準備完了
山形空港:アメリカ軍中継給油ポイント
東南アジアから一刻も早くトモダチ作戦へ参加するため時速25ノットで急行を続けている第31海兵遠征隊主力を載せた第11水陸両用戦隊の強襲揚陸艦エセックスや揚陸輸送艦ジャーマンタウンがいよいよ東北地方近海に接近してきたため、海兵隊や空軍のヘリコプターをはじめ各種航空機の中継給油ポイントとして使用している山形空港ではアメリカ空軍第353特殊作戦群の兵士たちによって更なる給油態勢の充実が図られた。
日本各地のアメリカ海兵隊
山形空港の中継給油ポイントの本格的稼働にあわせて、キャンプ富士(富士山麓の御殿場市を中心とした陸上自衛隊東富士演習場の一角に位置する)からは海兵隊員が陸上自衛隊員とともに山形空港を目指して出発した。
沖縄からの航空機や船舶で救援物資が到着し、更に厚木基地へと送り出す中継基地となっている岩国海兵隊基地では連日輸送機へ救援物資を搭載する作業が続けられていた。
沖縄の普天間基地でも、追加の救援資機材や救援物資の積み込みが引き続き行われていた。また、被災地への出動直前まで負傷者救出訓練が実施されていた。
強襲揚陸艦エセックス艦上
マレーシアから3,000海里の荒海を乗り越えてアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊を搭載したアメリカ海軍第11水陸両用戦隊の強襲揚陸艦エセックス、揚陸輸送艦ジェーマンタウン、揚陸輸送艦ハーパーズフェリーは、いよいよ東北地方沿海域に到着した。
第31海兵遠征隊の司令部部隊は捜索救援活動の前進司令部を設置するため、艦上でヘリコプターに乗り込み山形空港そして仙台空港を目指して発艦した。先遣部隊が発進した後も3隻の揚陸艦は停泊予定地の秋田港沖を目指して航行を続けた。
3月18日(金曜日)〜19日(土曜日):第31海兵遠征隊到着、新たな段階へ
山形空港
主として海兵隊をはじめとする救援活動用ヘリコプターの燃料補給中継ポイントとして使用されている山形空港では、アメリカ空軍兵站補給対応飛行隊が燃料補給活動の支援に駆けつけ、おりからの大雪に覆われた滑走路を海兵隊員と空軍兵站補給対応飛行隊員たちが雪かきをして燃料補給に立ち寄る海兵隊ヘリコプターの受け入れ態勢を万全にした。
秋田港沖:第11水陸両用戦隊ならびに第31海兵遠征隊
東南アジアから急行して来た第31海兵遠征隊が分乗するアメリカ海軍第11水陸両用戦隊の強襲揚陸艦エセックス・輸送揚陸艦ハーパーズフェリー・輸送揚陸艦ジャーマンタウンはいよいよ秋田港沖に到着した。
これまで、海兵隊第31海兵遠征隊という陸上での救援部隊の主力となる部隊を欠いていたため、アメリカ軍の救援活動は仙台空港の復旧作業ならびに空軍大型輸送機や海兵隊輸送機やヘリコプターによる救援物資の輸送や自衛隊に対する補給が中心となっており、実際に被災地にアクセスしての活動は主として空母ロナルド・レーガンや駆逐艦の艦載ヘリコプターによる捜索救援活動と救援物資を被災者に届ける活動に限定されていた。
もちろん海軍ヘリコプターによる救援活動も大きな成果を上げていたのだが、米軍陸上救援部隊が被災地に乗り込んで行う大規模な救援活動を実施することはできず、どちらかというと、被災地に陸上救援ルートを整備しながら接近をはかる陸上自衛隊や復旧なった仙台空港へ救援物資を運搬する航空自衛隊に対する補給支援的な活動が中心となっていた。
もちろん、トモダチ作戦の主体は自衛隊であり米軍は支援部隊として位置づけられているため、当然の姿ではあるが、在日海兵隊陸上戦闘部隊の主力である第31海兵遠征隊が秋田港沖に到着したからには、海兵隊そして米軍としては、3月18日を期して直接被災地に海兵隊員が乗り込んでのより積極的な救援活動が実施できる態勢が整ったのである。
秋田港に接近したエセックスからは早速偵察ヘリコプターが秋田港や秋田港周辺の海岸ラインそして山形空港から仙台方面へと向かう道路網の偵察を実施した。また仙台松島の第Ⅲ海兵遠征軍前進司令部に第31海兵遠征隊司令部要員がヘリコプターで向かい救援活動の打ち合わせを行った。
第11水陸両用戦隊と第31海兵遠征隊には、更なる具体的救援指示が届かないため秋田港沖で待機態勢をとる状態であるが、ハーパーズフェリーが夕方には秋田港に接岸し順次車輛を陸揚げして救援活動に備えることになった。日本側の解釈は「日米地位協定に基づく米軍による人道支援活動のため米軍艦の接岸と米軍の上陸を許した」ということになる。しかしHA/DR作戦といえども、具体的な救援要請が日本政府から出されない限り米国軍隊が日本国内で勝手に独自の作戦を立案して行動するわけにはいかず、18日から20日までアメリカ海軍第11水陸両用戦隊ならびに海兵隊第31海兵遠征隊は待機状態が続くことになる。
ただし、その間に多数の海兵隊車輛と飲料水製造浄水器や大型救援資機材を陸揚げし、仙台方面に向かわせることはできた。この日、筆者のもとには「海兵隊はもっと、もっと救援活動ができる、早く救援活動をしたい。」というメールが届いた。結局、20日からは八戸沖に戦隊を移動して、その洋上を拠点にヘリコプターや揚陸艇によって被災地への補給や被災地での救援活動を行うことになり、第11水陸両用戦隊のエセックス、ジャーマンタウン、ハーパーズ・フェリーは順次秋田を後にし津軽海峡を抜け八戸沖へと向かった。
3月20日(日曜日):第31海兵遠征隊の本格的救援活動開始
3月18日に秋田港に到着しても日本政府との“調整作業”などのために2日間にわたって“前進”を阻まれてしまったアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊は、一部の偵察部隊等を秋田港で上陸させてから太平洋側の八戸沖まで再び揚陸艦で急行し、八戸沖洋上の揚陸艦を基地として主として岩手県沿岸の被災地に対する救援活動を展開することになった。
これによって、仙台沖にロナルド・レーガンをはじめとした艦艇や、ロナルド・レーガンをはじめとする艦艇から発進するヘリコプターによる救援活動、ならびに仙台空港を拠点とする陸からの救援活動の手が届きにくい岩手県沿岸被災地に対する救援活動が強化されることになった。
マレーシアから急行して1週間、4,000名近い第31海兵遠征隊と第11水陸両用戦隊の海兵隊員や海軍将兵たちは、いよいよ陸上の被災地に直接足を踏み入れて救援活動に従事することになった。これで海兵隊の救援体制は、以前より厚木基地〜山形燃料補給デポ〜仙台空港や松島基地など被災地の拠点を結んでヘリコプターによる救援活動を継続している第265輸送ヘリコプター航空隊(普天間基地が本拠地)を中心とする救援部隊に、第31海兵遠征隊の陸上救援捜索部隊と第262ヘリコプター増強航空隊が加わり格段と強化された。
大船渡(3月20日)
八戸沖から大船渡に上陸した海兵隊員と海軍兵士たちは陸上自衛隊と協力して捜索救援活動を開始した。
仙台空港(3月20日)
アメリカ空軍だけでなく海兵隊もKC-130J輸送機を使用して仙台空港に救援物資の運搬を行った。
第262輸送ヘリコプター航空隊(3月21日)
強襲揚陸艦エセックスの飛行甲板では海兵隊第262輸送ヘリコプター航空隊のCH-46 Sea Knightヘリコプターに救援物資を次から次へと積み込み、ひっきりなしにCH-46が被災地目指して発艦して行った。この日、第262輸送ヘリコプター航空隊は800ガロンの飲料水と、768枚の毛布類を被災地に運び込んだ。
海兵隊岩国基地(3月22日)
航空基地と港湾施設がある海兵隊岩国基地はトモダチ作戦において重要な兵站基地として震災直後から救援活動を通して活躍した。航空機や艦船で岩国基地まで大量の救援物資を運搬し、基地航空施設から海兵隊輸送機により厚木基地や仙台空港にそれらの救援物資を急送することができるからだ。
アメリカ大使と太平洋軍司令官の訪問(3月22日)
3月22日には、ルース駐日アメリカ大使ならびにホノルルから駆けつけたアメリカ太平洋軍司令官ウィラード提督(海軍大将)が石巻の避難所を訪れ被災者たちを励ました。そして、捜索救難活動に従事する自衛隊員や米軍将兵を慰労するとともに激励した。日本国首相や防衛大臣は未だに避難所にも現地の自衛隊部隊にも激励に来ていない。
海兵隊 CH-53E Sea Stallion 大型輸送ヘリコプター(3月22日)
通常はCH-46E Sea Knight中型輸送ヘリコプターで形成されている海兵隊第262輸送ヘリコプター航空隊に海兵隊CH-53E Sea Stallion重輸送ヘリコプターも編入されて救援体制が強化された。エセックスからCH-46E 輸送ヘリコプターならびにCH-53E重輸送ヘリコプターによって被災地や自衛隊基地への救援物資や補給物資の搬送がひっきりなしに実施された。
給水作業(3月23日)
強襲揚陸艦エセックスや空母ロナルド・レーガンには大量の飲用水を製造する能力が備わっている。エセックスのヘリコプター格納庫では飲料水を飲用プラスチックに満たしそれを段ボール箱に収納して救援用飲料水パックを製造する作業を海兵隊員たちが行い、作り出された飲料水パックはヘリコプターによって被災地に届けられた。
おもちゃを子供たちに(3月25日)
海兵隊の救援部隊が被災地の避難所に救援用の衣類や500組の衛生セットとともに子供たちへのさまざまなおもちゃを運搬した。米軍の事前救援集積物資には、被災地や戦災地での子供たちに配布するおもちゃやお菓子類が用意されている。
3月27日(日曜日):気仙沼大島での救援活動開始
気仙沼大島
気仙沼湾の入り口を太平洋から蓋のように覆っている人口およそ3,500人で面積が9.04平方kmの大島(気仙沼大島)は、気仙沼港からのフェリーが途絶して完全な孤島と化してしまった。被災後2週間経っても、アメリカ海軍のヘリコプターにより救援物資が届けられる程度で、気仙沼市本土からのフェリーという唯一の交通手段がなくなってしまったために車輛や本格的救援部隊は接近できなくなってしまっていた。このような状況の気仙沼大島に、八戸沖からヘリコプターの機動力を生かして久慈、宮古、釜石と救援活動地域を広げてきた第31海兵遠征隊の救援活動の手が及んだ。
水陸両用戦の際には上陸部隊の強襲や上陸部隊への補給支援に活躍する揚陸艇(LCU:汎用揚陸艇)を用いて強襲揚陸艦エセックスから第31海兵遠征隊の救援部隊が気仙沼大島に上陸し、いよいよ孤島化した島から身動きできない状態になっていた被災者たちに本格的な救援の手が届いた。揚陸艇を使うことにより揚陸艦だけでなく気仙沼本土との交通も確保でき、各種大型車輛や大勢の救援活動に従事する人々を気仙沼大島に送り込むことが可能になった。水陸両用戦能力を生かした、第31海兵遠征隊の気仙沼大島での救援復興支援活動は以後10日ほどにわたって継続することになる。
海兵隊による本格的被災地救援活動完了
4月1日から3日にかけて自衛隊にアメリカ軍が全面的に協力して被災地各地において一斉捜索活動を行った。そして、この一斉捜索を境に、これまでの捜索救援・補給運搬活動から、復興支援と福島第一原発事故処理へとトモダチ作戦の重心が移された。
一斉捜索期間中にアメリカからCBRNE対処部隊の原発事故対処専門部隊であるCBIRFという海兵隊部隊150名が横田基地に到着した。また、一斉捜索終了をもってアメリカ軍の1万6千人体制は縮小された。ただし、被災地の一角に位置する三沢基地では空軍や海軍の将兵が近隣の被災地での復旧支援活動に引き続き従事し、気仙沼大島の救援活動を手がけていた第31海兵遠征隊は、4月に入ってから部隊本隊を大島に常駐させてよりいっそうの復旧支援活動を推進した。(救援活動の模様は拙著「写真で見るトモダチ作戦」並木書房、参照のこと。)
4月1日から大島に前進キャンプを設けて宿営し毎日12時間以上の復旧支援活動を続けた海兵隊は、4月6日の昼まで作業を続け、6日午後3時をもって引き揚げを開始した。大勢の島民が海兵隊員・海軍兵士たちの引き揚げを見送りに長崎港に集まり、島民たちの感謝の声の中を海兵隊救援部隊は揚陸艇に乗り込み強襲揚陸艦エセックスへと向かった。翌7日にエセックスは三陸沖から沖縄に向かった。
同じ4月7日、救援活動先鋒部隊としての海兵隊第31海兵遠征隊はトモダチ作戦での任務を後続部隊としてのアメリカ陸軍部隊に譲って作戦から撤収するため、海兵隊の指揮を執ってきたチンバーレーク大佐はアメリカ陸軍に指揮引き継ぎを行い、海兵隊員は沖縄や岩国に引揚げた。
4月12日、第31海兵遠征隊を載せて三陸沖からゆっくりと南下していた第11水陸両用戦隊強襲揚陸艦エセックスは沖縄ホワイトビーチに帰還し、タイ、カンボジア、インドネシア、マレーシア、そしてトモダチ作戦参加と3ヶ月にわたるパトロール任務を終了した。
参考文献:本項は、拙著「写真で見るトモダチ作戦」並木書房刊より修正転載
〜添付図版等の公開準備中〜